世界が期待する若き政治家②
鈴木邦和(29):東京大学工学部卒。在学中の東大ドリームネット(在学生と卒業生の600人規模の交流会開催等を行う大学公認団体)代表、震災復興支援団体”UT-AId”創設(のちに東京大学総長賞団体受賞)、投票マッチングサービス「日本政治.com」立ち上げ(世界的経済誌Forbesが選ぶ30人の30歳以下若手リーダー"30 Under 30 in Asia"選出)を経て、2016年に東京都議会議員に選出(男性最年少)。将棋四段(高校時代に三度全国大会に出場)。World Economic Forum(ダボス会議)Global Shapersメンバー。

鈴木:父の仕事の都合で6歳から8歳頃までをデュッセルドルフで過ごしたのですが、帰国した先が群馬県でした。のむちゃんの出身地の富山も同様だと思いますが、帰国子女がそもそもいない中、ドイツからの転校生となると完全に異分子でした。日本人学校に通っていたので、帰国して日直になったときもその感じで「気を付け、礼」と言ったら、周りから爆笑されちゃって。群馬では「注目、礼」なんですよね。こういった小さな出来事は無数にありました。
また、僕は当時は身長が学年で一番小さくて、中3のときに150数センチでした。いじめと言うほどではないにせよ、よく「チビ」といじられたことは、自分の中で何か影響を残しているのかもしれません。また、中学時代はサッカー部に入ったのですが、周りはみんな小学校からクラブに入っていて、僕だけ初心者からスタート。こういった点でも、対話に苦労したというか、心掛けていたようには感じます。
ただ、いまの話は三段レベルの話です。一段上がるにつれてまた別の世界になっていくところが将棋の奥深さであり、面白さでもあります。四段、五段となると、それまでに積み上げてきた思考の枠組みを一回解体する必要が出てきます。
野村:剣道でいう守破離とまさに通底するように感じます。
鈴木:まさにそう思います。たとえば、高段者になると、歩いているときに地面の感触の違いに気付く。思考と思考が交差する中で、盤上の小さな違和感を見つけて、それを突き詰めていけられれば有利な局面になっていきます。
野村:それにしても、自分が異分子として新たな環境に放り込まれたときに、鬱屈・屈折することなく対話をしようという方向に進んでいけたこと、サラッとお話されていますが、とてもすごいと感じます。
鈴木:身体が小さくて喧嘩では勝てなかったので対話で解決していた面もありました。それにしても、こんな話を人にしたのは初めてです。のむちゃんが興味を持って聞いてくれてるから(笑)
野村:完全に僕の趣味にお付き合い頂いていて恐縮です(笑)。実際、この抽象度の話って信頼関係と思考力、言語化能力をお互いに有していないと難しいのだと思います。Web上で検索した経歴だけでは滲み出てこない何かが可視化されると、もしかしたらいろんな理解や協力を得られるかもしれないなぁと。もちろん、経歴だけで勝負したいとも思っていないということもあって。
鈴木:僕もそう思います。
野村:邦和さんは大学時代、東大ドリームネット(東大在学生と卒業生の600人規模の交流会などを開催する東大公認学生団体)の代表を務められていましたが、入られたのはいつ頃ですか?
鈴木:1年生の10月です。実は挫折は将棋部だけではなくて(笑)。1年生のときに入っていたゼミでは、のちに経済学部を首席で卒業する先輩をはじめとして本当に優秀な先輩に囲まれて。情けない話ですが、将棋で挫折、ゼミで挫折、と続いて、どうしていこうかと苦慮していました。そんな中、ドリームネットの活動を通して卒業生と接する過程で、自分も成長していく感じがしました。実際は大半の部分で錯覚なんですけど(笑)。
野村:ドリームネットといえば、ご協力されているWorld Economic Forum(世界経済フォーラム、日本での通称ダボス会議)第四次産業革命センターの事務局長さん(東大OB)とは、仕事の関係でほぼ毎日連絡を取り合っています。
鈴木:実は、10月2日に都議会で第四次産業センターの話もしました(笑)。東京都の産業技術センターの中期計画関連で、医療・ヘルスケア分野におけるWEFから見た日本の可能性にも触れたのですが、皆さん真剣に聞いてくれました。やはり、世界から日本がどのように見られているか、あまり知られていない、だからこそ関心が強いといった印象です。
野村:まさに、その議論にずっと携わってきました。議会質問ということでしたら今後どう動くかは未知数かと思いますが、いつでも相談してください。こうやって仕事で徐々に近づいていくのもいいですね。
ドリームネットではどういった経緯で代表になられたのでしょうか?選挙?
鈴木:僕のときは選挙なしで代表に就任しました。自分がやりたいと思って取り組んでいたら自分になったという感じです。ただ、最初の数ヶ月は本当にボロボロでした。
野村:ドリームネットの経験で、ご自身のパーソナリティというか、物の見方や考え方は変わりましたか?
鈴木:変わりました。高校の将棋部では強いということで部長になりましたが、当時の僕には部全体として部員の力を高めていくという意識に欠け、今振り返るといい部長ではありませんでした。ドリームネットでは、自分一人が頑張っていても仕方がないということを実感しながら、みんなで取り組んでいきました。大学当局、学生団体ドリームネット、三四郎会(東大OB有志組織。teamLabの猪子社長などが在籍)の三者が、それぞれの立場からそれぞれの想いをぶつけてくる中、僕の役割はこれら三者間のとりまとめだったのですが、無数の議論・対話を経ながら、みんなで向かう方向性を定めていけました。
野村:まさに社会の縮図と言いますか、省庁の仕事もそうなのですが、各ステークホルダーでバックグラウンドが違う中、大きな方向性を示して、全体の中での位置付けを理解してもらいながら、具体レベルで擦り合わせをしていく。
鈴木:僕のリーダーシップのスタイルは、自分のできることをひたすら絞っていくものです。メッセージを発して、ビジョンを提示して、みんなにコミットしてもらう。
野村:至極適切だと思います。政治家や経営者はまさにそういう仕事にほかならないでしょう。僕自身は官僚になって、大の苦手かつ嫌いだった(笑)具体の超細かな事柄を一定水準で捌けるようになりましたが、「役は人を作る」とずっと言っているように、意思決定者としての言葉・マインドセットを常に持つことで、そういうものが育っていくと思います。
鈴木:選挙で失敗するパターンの多くは、候補者本人が選対本部長になってしまう場合です。僕は選挙中はPCに殆ど触らず、ロジも一切をボランティアの皆さんにお願いしました。僕自身は候補者としての役割に徹しながら、ありがとう、と感謝を伝え続けました。