野村将揮
無題
このところ天気がいいので、職場からの帰路を少し遠回りして小一時間ほど山道を歩いている。そういえば今までの人生、歩きながら茄子の葉へ意識的に目を遣ったことなど無かった。遠目に望む小高い山にも名前があるはずで、その名前も由来と名付け親を持つはずなのであって、人生においては(「意味」なく)そういった事柄に関心が向く精神状態を維持していきたいと思い至っている。言い放ってしまえば、そういった余白を削ってきた数年間だった。後悔も無ければ、所詮は今も昔もその時点における物の見え方を肯定しようとしているだけなのかもしらんが、ともかくに、ここ最近の小一時間がそこはかとなく幸福感に満ち溢れていて仕方がない。