top of page
検索
  • 執筆者の写真野村将揮

無題

更新日:2018年10月31日

米国行ってきた。然程に楽しめなかったという一点に於いてのみひたすらに有意義だった。色んな虚構を、意図するところでなく、看破できた。 長い自助努力の賜物だと我ながら思う。意味なんぞ要らんわ。価値なんぞ無いわ。理由なんざ例外なく人間が作った嘘や。

身軽になるには長い道を遠回りして歩かねばならんのだ。小石に躓くかもしれないし、トラックに轢かれるかもしれない。泥濘に足を取られるかもしれないし、道に迷うかもしれない。そうやって嗅覚と足腰とを鍛えていかねばならんのだ。精神的支柱としての背骨を、健全に、真っ直ぐに打ち立て、更に長い期間を歩めるようにせねばならんのだ。んでもって背骨は元来曲がってるもんだし、それが正しいのだから、仕方がないというか、それでいいのだ。

米国の街並みに心躍り、インドの泥道を昼夜の別無くひたすらに歩き、カンボジアでそれらの風景を思い出すに至った今の時分にあたっては、もはやそれらの類の時間はまるで必要ではなくて、バイクの免許を取って"The Motorcycle Diaries"よろしくぶっ飛ばさなければならんのだ。

閲覧数:16回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ふと、親代わりだった祖父のことを思い出したので、少し書き残しておきたい。 一ヶ月が経過した。世に言うキャリア官僚を辞して設立一年にも満たないベンチャーの役員になった。官舎を出る必要があったため住む場所も変えた。金銭を受け取りながら人前で自分の名前を出しながら意見を表明することにも多少は慣れてきた。 自然、日常を織り成す人間関係に、小さくない変化があった。節目にかこつけて旧交を温めてくれた師や友人も

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。 中学時代は剣道に、高校時代は東大受験に、文字通り全身全霊で打ち込んだ。田舎の片親家庭だったが、今思えば、そのような機会・環境が与えられていたことは幸福以外の何物でもなかった。 1度目の東大受験に失敗して、単願だったため、浪人することになった。現役時代の蓄積があったので、数年ぶりに「受験対策」以外の

結局のところ、ストレスは予測不可能性から来る部分が大きい。なんとなくの見立てで大丈夫そうだったり、個別に見れば大した負荷でなかったりしても、未経験かつ予測不可能な事柄で公私を埋めると行き詰まる。これはいい教訓になった。厳しく見ると、方々に於いて過信があったのだろう。 やはり「うまく進んでいる」と実感できる事柄を主軸に置いて日常生活を設計するに限る。拠り所があれば、多少の振れ幅があってもそれが一時的

bottom of page