野村将揮
無題
更新日:2018年10月31日
米国行ってきた。然程に楽しめなかったという一点に於いてのみひたすらに有意義だった。色んな虚構を、意図するところでなく、看破できた。 長い自助努力の賜物だと我ながら思う。意味なんぞ要らんわ。価値なんぞ無いわ。理由なんざ例外なく人間が作った嘘や。
身軽になるには長い道を遠回りして歩かねばならんのだ。小石に躓くかもしれないし、トラックに轢かれるかもしれない。泥濘に足を取られるかもしれないし、道に迷うかもしれない。そうやって嗅覚と足腰とを鍛えていかねばならんのだ。精神的支柱としての背骨を、健全に、真っ直ぐに打ち立て、更に長い期間を歩めるようにせねばならんのだ。んでもって背骨は元来曲がってるもんだし、それが正しいのだから、仕方がないというか、それでいいのだ。
米国の街並みに心躍り、インドの泥道を昼夜の別無くひたすらに歩き、カンボジアでそれらの風景を思い出すに至った今の時分にあたっては、もはやそれらの類の時間はまるで必要ではなくて、バイクの免許を取って"The Motorcycle Diaries"よろしくぶっ飛ばさなければならんのだ。