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  • 執筆者の写真野村将揮

無題

更新日:2018年10月31日

望まずして他人に頼りにされることが滅法増えた、って書いてから、望んだ末に他人に頼られるなんてことがあったとしたら、それこそ下賤な下心の類の証左だろうと思いもした。その種のものを持たない努力はしてきたし、幾分も意味があったとは思う。

否定のしようが無いところ、断絶の彼方に、紛れも無く、絶対的他者がある。大学1年の今頃に原理隔という言葉についてよく考えた。その頃に出会った教授とも意図せず疎遠になったほどには時間が経った。自分の中でさほどに重要でない諸問題や諸事情が、彼岸から発せられる極めて個人的で悲痛なそして真摯な叫びによって流入し、此方側を求心し回収しようと躍起になって侵食してくる。貴様の都合など、感情など、生死など、俺からすれば至極どうでもよいのだ、そう言えなくなってしまった足元には棄て去るにも忍びない残酷な幸福が転がっている。何を望んでいたのか、何を望むのか。本当に、どうにも残酷なお話である。

精神医学において、基礎能力の偏差が種々の精神疾患の因子となるということを聞き、確かにそうらしいと思い至った。他方で、件の作家の記憶力の話ではないが、(他者とのあいだに)そういった偏差があるからこそ人間は人間でいられるのだ、と、少しだけ交わることのあった人が述べていて、一人ただ唸った。やはり出来た人間というのもいるものだ。

アランにラッセルにフランクルなど幸福論の類は大方読み漁ったが、心身を注ぐ対象を措定する力こそ、と思う。なんと情けない話か。そりゃMelvilleも"Ah Bartleby! Ah humanity!"とか叫ばせるやろ。やれやれ。

コンビニで売られている添加物まみれの乾いた寿司が好きなんやけど、あの酢飯の安っぽい味が忘れられんからなんよなぁ。おかんもアルトバイエルンとか高級ウインナーより赤色のタコさんウインナーとかアンパンマンポテトとか好きって言うとったし。舌が肥えても忘れられん陳腐さって、そりゃもう一生を規定してまうわ。そうなったら舌噛み切るしかないけど、痛いの嫌やし、まだまだ旨いもん食いたいし。

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