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  • 執筆者の写真野村将揮

無題

更新日:2018年10月31日

季節柄か、鬱屈しやすいというか鬱憤(なんて素敵な字面と響きとを備えた言葉なんでしょう)が溜まりやすいようで、やはり界隈にもそうらしい人が頗る多いが、振り返るにその類のものの取り扱い方として、発散することしか学んでこなかったなぁと。この種のものを解消するには、パーンと発散させるかフワッと霧散させるかの差が存外に大きく、双方の仕方を使い分けられればとてもよいのではないかと思う。雨が降っていて体調も芳しくなく暗記物に手を付ける気概が無いとき、ふと何か読むかぁなどと思い付いても、書棚の文字列に惹かれやしない。そういう感じ。快晴の日に散歩に行きたくなるのは至極自然なのであって、雨の日に散歩したくなるかという話。もっと言うと散歩できるかという話。まぁ晴れた日に散歩したくなるような心性が本物だろうかと疑ってしまうが、それはそういうことにしておく。

日常の癒やし要素って案外少ないもんで、発散(哲学で言うところの内破の方が近いかもしれない)ばっかりしてると、閾値を超えたときに破壊衝動に転化してしまう。やっぱ犬だな。公園とか大学の構内とかで人間の散歩に付き合ってやってるモサモサの犬に歯笛投げ掛けて、飼い主放置で俺のとこにやってきて、遊べー!ってやって来るあの感じ。ああいう要素が日常ってか社会ひいては世界にたりない。Coccoほど身を切るような感じじゃなくて、鬼束ちひろほど頽廃的じゃなくて、Salyuほどポワポワしてない、宇多田ほど眩しくない、、おらんがな。

ずっとお世話になってるイギリス人の教授に進路相談に乗ってもらったんだが、終始「学者?給料クッソ安いぞヘッヘッヘwwwww」「俺もヘッジファンド行っときゃよかったかなぁヒャッハー!!」みたいなテンションだった。お礼を言って退室しようとした際に、満面の笑みで一言、"Enjoy!"って言われてこちらまで笑顔になってしまった。何も楽しくないのに笑えるってのは、実は楽しいのかもしれんし、人生ってこういうもんなのかもしれない。

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