top of page
検索
  • 執筆者の写真野村将揮

無題

更新日:2018年10月31日

高校時代に何となしに弁護士にでもなろうかと思い立ったのを引き摺って、前期課程で法学のさわりだけ学んだ。いや、学んだとも何とも言えないかもしれない。哲学者になって新緑なり落葉なりの中を愛犬と静かに歩きたいなどと思いながら、後期課程では物と言葉を口に含んでいない間は黙々と文字の浅瀬に溺れた。学問の才能、つまりは問いを打ち立てる力とそれを追窮する情熱とが無いと自覚するに至って程無く、半端にだが極めて自然な流れてとして、まるで縁の無かった経済学を独習し国家公務員試験を受けることになった。言ってしまうと、面目を保つ形で進路に目処が付いたが、結局なんだったのか、という一抹以上の想いは胸中で燻っていた。

と、続きを書こうと思ったが、読者を措定してしまっていて自意識がにじみ出てきてるのでやめにします。うん。続きはまた顔を見て聞いてやってください。いつもありがとうございます。

閲覧数:21回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ふと、親代わりだった祖父のことを思い出したので、少し書き残しておきたい。 一ヶ月が経過した。世に言うキャリア官僚を辞して設立一年にも満たないベンチャーの役員になった。官舎を出る必要があったため住む場所も変えた。金銭を受け取りながら人前で自分の名前を出しながら意見を表明することにも多少は慣れてきた。 自然、日常を織り成す人間関係に、小さくない変化があった。節目にかこつけて旧交を温めてくれた師や友人も

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。 中学時代は剣道に、高校時代は東大受験に、文字通り全身全霊で打ち込んだ。田舎の片親家庭だったが、今思えば、そのような機会・環境が与えられていたことは幸福以外の何物でもなかった。 1度目の東大受験に失敗して、単願だったため、浪人することになった。現役時代の蓄積があったので、数年ぶりに「受験対策」以外の

結局のところ、ストレスは予測不可能性から来る部分が大きい。なんとなくの見立てで大丈夫そうだったり、個別に見れば大した負荷でなかったりしても、未経験かつ予測不可能な事柄で公私を埋めると行き詰まる。これはいい教訓になった。厳しく見ると、方々に於いて過信があったのだろう。 やはり「うまく進んでいる」と実感できる事柄を主軸に置いて日常生活を設計するに限る。拠り所があれば、多少の振れ幅があってもそれが一時的

bottom of page