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  • 執筆者の写真野村将揮

無題

更新日:2018年10月31日

別に業種が何であろうが、結局人前でプレゼンしたり、具に言えば提案したり説得したりってことをする際には、自分の情熱や内的衝動とは必ずしも比例しない形でそれをしなければならないことは幾度と無くあるはずであって。たとえそれでも、そうだとしても、たとえば90の何かを100、ひいては101で伝えなきゃいけないってのは、本質的に悲劇的なことじゃなかろうか。

プレゼンだろうがブログだろうが腹式呼吸だろうが全部同じで、自分の身体から吐き出すってか出ていくものの純度ってのは人生を賭して極限まで高めていかないと、つまりその努力をめっちゃ意識的に、もはや誓いのレベルでやっていかないと、(敢えて陳腐な言葉を用いると)真理みたいなものとの勝負になったときに、勝ち目が無いどころかへし折られて結局死んでしまうんやないかとさえ思う。

寝て起きたときに数学者になってれば幾分も楽なんだろうけど、そんなことは有り得ないし、勿論それはそれで死んでしまいそうなので、与えられた(誰にや)大義を振り翳すこと無く静かに胸に畳んで眠ることしかできないし、それをしている間は多分死ぬような戦いには直面しない。

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