野村将揮
自分の内に安らぎを見出せない者が
更新日:2018年10月31日
思弁や叙述を自己目的化しないようにと意識していると、メタな話だが、それが思考停止の是認を支えてしまうことがある。本当に考えるべきことと、考えたいがために考えようとしていること、この差を考えるということを先ずはどう捉えるかという果てのない問いの話。
真面目に読んだのは8年も前になるが、今更いかにも身につまされる言葉が多く、この情念の何たるか、という問題を、どう取り扱うか。考えようとすると億劫になる。これは怠惰と呼ばれても仕方がない気がする。いやむしろ怠慢か。
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人は理性でしか望まないものは、決して熱烈には望まない。
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賢者はどんな不幸な出来事からも、何かしらの利益を得る。その一方で、愚か者はどんな幸
福な出来事にも、心を傷つけられてしまう。
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我々は、どちらかといえば、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである。
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『箴言集』