野村将揮
綿矢りさ『勝手にふるえてろ』
更新日:2018年10月31日
予想通り殊勝だった。
綿矢りさの作品は往々にしてとても陳腐だ。つまりは、低俗な状況設定の上で、卑近な感情の吐露が、冗長だと感じるギリギリまで重ねられていくのだが、だから生々しいのであって、だから後半の自己解体がスッとこちら側に染み入ってくるのであって。
追体験とは、ある時点のそれよりも脈絡を持ったそれであるべきだし、ある時点以前の幅のあるそれは、一般にそれとみなされていないことが多い。綿矢りさがこの点が本当に巧いというか、おそらく感覚に依るところが大きいのだろう、その意味において天才性を感じずにはいられない。
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思い出を美化しようとするのは、それが美しくないことを既に知っているから。
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誰かに傷付けられるほどヤワであってはならないのだという気概。
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文体の話ではない。総じてあまりに自然に陳腐だし、あまりに具体的に卑近であるということ。そしてそこには人間全般への懐疑や諦観があるけれど、さらにそれらの受容がある。あぁ、なんてお人なのですか。
山田詠美と並んでとても好きな女流作家です。主著『蹴りたい背中』よりもずっと文学的な技巧に長けた良作。