人を楽しませるということ:
ジャグリング世界一コピーライターの視座②
長竹慶祥(27):
国立筑波大学附属高校在学中にジャグリング世界大会Jr.部門で優勝。慶應義塾大学総合政策学部、在学中の米国での大道芸武者修行を経て、博報堂入社。社内適性試験で首位となりクリエイティブ部門に配属、コピーライターに。海外大会で入賞経験もあるポーカープレーヤーでもある。

長竹:目立ちたいという願望はありましたが、目立つといいタイミングとそうでないタイミングを考えていました。
幼稚園時代に通っていた老若男女が参加する絵画教室で、目の前にザリガニが置かれた状態で画用紙を一枚渡されて、「ともかく大きいザリガニを中心から描いてください。紙はいくら付け足しても構いません」というお題が与えられたことがあって。僕はすぐさま最初の一枚塗りつぶして、そこからどんどん広げていき、自分の身長より大きなザリガニを描いたんですね。一方で周り大人たちは、最初の画用紙一枚だけに大きなザリガニを書いていた。付け足していいと言われていたにも関わらず、です。幼稚園生ながらに、こうなりたくないな、と感じたことを覚えています。
野村:めちゃくちゃ面白いですね。ただ、他意なく言うと、綺麗に形容されすぎているので、もう少し保育園レベルの言葉でどう思ったか教えてください。
長竹:ちっちゃっ!!と思った(笑)
野村:なるほど、すばらしい(笑)
長竹:紙を増やしていいという条件を与えられることなく自ら付け足そうとしたなら天才かもしれませんが、僕はあくまで条件として提示されていたものに乗っかっただけ。だからこそ、周りの大人のようになりたくないな、と痛切に感じました。これがいい目立ち方をした経験です。
逆に、目立っちゃいけないと思った経験ですが、小学生のときに校庭でアサガオを描くという授業があって、僕は「土なんだから」と思って画用紙に本物の土を塗って土色にして、蔓や花だけ自分で描いて提出したんですね。すると教師に「クレヨンを使え」と怒られてしまった。今でも鮮明に覚えているぐらいムカつきました(笑)。そこで学んだのが、人と違うことをすると、何かを言ってくる人がいるんだということでした。
野村:嬉しい悲しいだけではなく、こういう人がいるんだ、というメタ認知。
長竹:この件については「自分は絶対に間違っていない」とも思っていたので、一言も謝りませんでした。だからこそ冷静に俯瞰できたのかもしれません。いずれにしても、社会生活を営む上で、出るところと出ないところを弁えなければならない、出たら得をするところと、目立っても意味がないところがある、ということを学びました。
野村:そのメタ認知能力は、どうして身についたと思いますか?
長竹:実際にはそこまで意識していなかったのかもしれません。少し話が飛びますが、僕はずっと人の目を見て話すのが苦手だったんです。それで中学生のときに、我ながら気持ち悪いんですが(笑)、鏡を見て話すトレーニングを重ねました。自分と他者について意識をし始めたのはこの頃です。
野村:哲学的に言えば「他者の獲得」にほかならないと思います。これが腑に落ちてわかってくるのは、学者を志望している後輩らでも学部後半。本当にすごいです。
長竹:あとは、「面白いとは何か」ということをひたすら考えていました。身体を張って笑わせられるわけでも、面白い見た目でウケを取れるわけでもなかったので、ジャグリングサークルで面白いと思った人たちの言動を全部取り入れて、学校で使う。もちろん逆も同様で、学校で面白いと思ったものをサークルで使ってみた。面白さの切り貼り、手塚治虫のブラックジャックのような。
野村:すばらしい。世界大会は高校生のときですか?
長竹:高校2年のときです。実はそれまで一度も大会に出たことがありませんでした。普通はコテ試しに小さな大会から始めようと思うはずですが、そこは我ながら度胸が座っていて、「どうせめちゃくちゃ努力するんだから、世界大会を獲りに行こう」と。
野村:なぜ優勝できたのだと思いますか?
長竹:技術だけの勝負だと考えていた参加者が多かった中、パフォーマンスとしての質を意識した点が優勝に繋がったのだと思います。観客の心の変化、感情曲線を意識して組み立てました。「なぜだか、あの動きだけ覚えている」みたいなものを織り交ぜた。また、これは運もあるのですが、ラスト直前、曲も終わりが感じられるトーンになってきた頃に、思い掛けずミスをしてしまったんですね。それで、観客がみんなラストに向けて応援モードになってくれた。そういう空気感の中で最後の大技を決めて、スタンディングオベーション。最終的には優勝を勝ち取ることができました。
野村:世界大会が終わってから自分の中でのジャグリングは変わりましたか?