人を楽しませるということ:
ジャグリング世界一コピーライターの視座①
長竹慶祥(27):
国立筑波大学附属高校在学中にジャグリング世界大会Jr.部門で優勝。慶應義塾大学総合政策学部、在学中の米国での大道芸武者修行を経て、博報堂入社。社内適性試験で首位となりクリエイティブ部門に配属、コピーライターに。海外大会で入賞経験もあるポーカープレーヤーでもある。

野村:文字通りマルチな才能をお持ちの長竹くんですが、頭の柔らかさというか、資質としての遊び心がすごく高い印象です。
長竹:遊び心にも「ふざける」と「おちょくる」の2種類があると思っていて、僕は前者よりも後者が強いのだと思います。野村くんにはやりませんが、内心で「目の前の人がこれやったらめちゃくちゃ怒るだろうな」みたいなことを常に考えてます(笑)。
野村:僕もそういうところがあるのでわかります(笑)
長竹:みんながいいと言っているものに対して、「本当にそうかな?」と問い掛ける姿勢がクリエイターには必要。慣用的な意味での穿る、つまり斜に構えるという感じですね。遊び心というとポジティブすぎますが、いたずら心というか、そういったものは他の人より強いと思います。
野村:「ふざける」は自己完結的で、「おちょくる」には対象が必要ですよね。いたずら心や問い掛ける姿勢はどのように養われたと思いますか?
長竹:野村くんはいじめられたことってありますか?
野村:露骨には無いのですが、あるといえばあるのかもしれません。私物を隠されたり壊されたりといったものではないですが。
長竹:周囲と軋轢を起こすことなく提示される価値観に違和感を持たずに生きてこられた人は、それはそれで幸せだと思います。しかしながら、典型的ないじめとまでいかなくても、「俺いまなんか間違ったこと言った?」といったことを沢山感じながら育つと、こういう視座が身に付くのかもしれません。
野村:よくわかります。富山の田舎で育ったこともあって、「なんで?」と思うことが、日々本当に無数にありました。
ジャグリングに出会ったのはいつですか?
長竹:小学校から筑波大附属に通っていたのですが、中1の秋にジャグリングに出会いました。文化祭で先輩がパフォーマンスをしている姿を見て、「すごいな」と。いや、違う。正直に話すと、「これなら俺もできるわ」というのが最初の感想でした(笑)。それで実際にやってみたら、全然できなかった。以降、文化祭そっちのけで先輩に借りた道具でずっと一人でジャグリングをやり続けて、翌日には東急ハンズで道具を買っていました。
元々はスラムダンクを読んで中学からバスケ部に入ったのですが、実際のところ、小学校からやっている同級生に勝ち目が無いと感じていました。それで、井の中の蛙…、という話がありますが、井戸は選べる、と思っていたところもあって、ジャグリングに出会って、これを極めたらめちゃくちゃいいじゃん、と。
野村:大袈裟に言えば、国際経済における比較優位の考え方を、中学1年生の時点で意思決定に反映させていたのですね。
長竹:それ以降、1日10時間ぐらいひたすらジャグリングをやっていました。筑波大附属は一定数の生徒が高校に上がれないので、親を心配させないよう、定期テストも内申もきちんと確保して。
野村:過去にこの「若者の哲学」でお話を聞いた京極さんも同様のお話をされていました。彼の場合はたまたまゲームでしたが、いわば免罪符だと。
長竹:まさに。子供ながらに、「文句を言わせないぞ」という意識はありました。自分の要求を通すためには、相手が求めるであろう要求に応えるべきだということを常に考えていて。一方的に「これをやらせてくれ」では話が通らない。この考え方は今の仕事でも通底しています。
中高生ながら、月曜夜は東大、火曜夜は電通大、水曜夜は東大、木曜夜は横浜、金曜夜は東大といった風に、毎晩遅くまでジャグリングの練習に明け暮れましたが、親はとやかく言うことも無く、むしろ前向きに応援してくれました。ダメなラインだけ決めてくれて、後は自由にしてもいいよと。
野村:少し遡って、小中学校時代はどういった子どもでしたか?