国連・官邸を巻き込む
新世代ニュータイプリーダー②

牧浦土雅(24):学習院初等科、杉並区立和田中学校、英国Cheltenham College、Strathallan Schoolを経てUniversity of Bristol入学(入学前に1年間ギャップイヤーを取得しアフリカで国連と共同プロジェクトを実施)。2年次に中退後、タイでの事業実施(東京大学との共同研究)、Quipperの海外事業拡大を担う傍ら、国家戦略特区の活用に向けて官邸で安倍総理以下関係大臣への提言、受動喫煙防止に向けた小池知事への提言書取りまとめにも携わる。本年夏より拠点をアフリカに移し宇宙事業に尽力。

土雅:実際のところ、日本から英国のボーディングスクールに留学する生徒は半数近くが1年程度で帰国します。何もかもがカルチャーショックですし、たとえばアジア系の目の細さをからかわれたり、ひどいときは無視されたりして、それに耐え切れずアジアからの留学生で固まってしまう。僕自身はラグビーを通して仲のいい友人も得られたため、極力そういった集まりとは距離を置いていました。いま振り返ると、もし中高と日本の私立で過ごしていたら、ハングリー精神やクレイジーさが足りなかったかもしれないとも思います。

和田中の友人たちも財産ですが、Cheltenham College時代の同級生は本当に別世界の住人で、週末にドバイに遊びに行くような人たちでした。某国の大統領の息子や世界的ホテル系列Four Seasons Hotels and Resortsオーナーの息子がいて、僕はそういった面ではまず対等に戦えませんでした。

そんな中で、自分はいわゆる貧困を全然知らないと思っていた部分もあって、高校2年生のときに初めて発展途上国、インドに行きました。高校の課外活動として、ニューデリーのスラムで英語講師として派遣されたのですが、まず、学校の授業が午後だけ。午前中はみんな車の清掃やホテルの掃除といった仕事をしていて。午後に仕事を終えた生徒が一斉に教室に来ると、10歳から16歳までが同じクラスに詰め込まれて、教科書は3人で1冊をシェア。にも関わらず、学習意欲は本当に高くて、質問があるか聞いたら本当に全員すぐさま手を挙げる。この環境に比べたら、自分が通っていたボーディングスクールは本当に生温い環境でした。また、インドを訪れる前は、途上国は幸福度が低いのだろうという先入観があったのですが、実際に行ってみると真逆。電気や水道が未整備な環境でも幸せそうな人たちが大勢いて。そういう世界をもう少し知りたいと思うようになり、大学入学前にギャップイヤー(進学の1年間後ろ倒し)を取って、アフリカに身を置きました。

 

野村:どの国で活動されていたのですか?

 

土雅:最初は東アフリカのルワンダでした。藤原先生から、ルワンダで教育系の活動をしている面白い人を知っているから、と紹介いただいて。それで、ルワンダの国内の面白い教師の授業動画を撮って、DVDに焼いて、地方の学校に配るという事業を始めました。DVDプレーヤーが殆ど無い地域だったので、発電機とスクリーンを貸して体育館で200人ぐらいが一度に集まって、化学の実験動画を観る。

 

野村:当時18歳ですよね。本当すごい。

 

土雅:こういった地域には、ビーカーやフラスコが支援物資として送られてくることはあっても薬品は全く送られてこないので、実験ができなかったんですね。教科書も白黒で、薬品の反応で色が変わるということも文字で書いてある。これを動画で見たときのみんなの「おおおおお〜」と声が上がる瞬間は快感でした。

この過程で、小学校の周りの農地にキャッサバなどの農作物が大量に余っているのを目にして、聞くとすべて去年からの売れ残りらしく。町の市場への輸送手段が無くて売るに売れないとのことでした。最初は聞き流していたのですが、後日、国連の職員の方と食事を摂っていたときに、隣国のコンゴから大量の難民が流れてきていてルワンダとの国境沿いの難民キャンプでは食料が全然足りてないという話をされて。そこで僕が「あのあたりの農村には食料が売り切れないほど余ってますよ」と伝えたところ、その輸送にかける人的資源が足りないとのこと。だったら僕がやりますと言って、国連のロゴが入ったトラックを借りて、農村を回って市場価格で買い上げて国連の人たちに提供するという活動を始めました。8ヶ月くらいで、40人くらいの人力も借りながら継続しました。

 

野村:そういう発案力はもちろん、実行してしまえるあたりが素晴らしいですね。あとは、人を巻き込んでいく力。

でも、そもそもこういった活動に着手したのはなぜなんでしょうか。社会的な責任感というよりは、「誰かがやればみんなハッピーなんだからやればいいじゃん」といった想いでしょうか。

 

土雅:農村の所得が低い人たちに所得をあげて助けてあげたい、みたいな善意のような想いが先立っているわけではなくて、単純に、みんながハッピーになると思ってやっていました。と言っても、実際は本当に文字通り泥臭い作業。トラックで農村に向かって、キャッサバを2トンくらい積み上げて、難民キャンプに運ぶ。ひたすらこの繰り返しでした。

 

野村:この2つの活動は現在も続いていますか?

 

土雅:教育事業の方は、他国のJICA(国際貢献を担う日本の政府機関)にあたる組織が引き継いでくれています。いまはDVDではなくオンラインになっているそうです。

食糧の方は、UNWFP(国連食糧計画)が、5,6万もの小規模農家から農作物を買い取る形で続いており、規模も拡大を続けていると聞いています。いま取り組んでいるアフリカでの事業も、国連との共同開発として進めています。昔やったプロジェクトの縁が今につながっている。

 

野村:主体や形式が時とともに変わっていくのは当然のことで、そのファースト・アクションを生み出したことが大事なのだと思います。

 

土雅:一方で、アフリカで続けているうちに頭打ちを感じ始めて。というのも、やはり僕が1人でギャップイヤー中にできることって限られている。それで一度大学に戻ろうと決めて、第一志望だったUniversity of Bristolに入学しました。

 

野村:当時はUniversity of Bristolのどういった点に惹かれたのですか?

 

土雅:ウィンストン・チャーチルが学長を務めていたから、というのは冗談で(笑)。イギリスはcampus universityと言われるぐらいに大学と街が一体化しています。訪問した中でBristolが一番溶け込んでいた印象を受けました。

 

野村:そして、入学して1年で辞めてしまう(笑)。

 

土雅:イギリスは日本のような単位制ではなく、夏と冬の試験をパスすれば進級できるんです。授業もオンラインで受けられた。それで、結構な頻度でルワンダに戻っていたのですがそうこうしている内に、「大学を卒業しなくても、今からやれることもあるんじゃないか」と思うようになって。

 

野村:自主退学後はすぐアフリカに?