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国連・官邸を巻き込む
新世代ニュータイプリーダー①

牧浦土雅(24):学習院初等科、杉並区立和田中学校、英国Cheltenham College、Strathallan Schoolを経てUniversity of Bristol入学(入学前に1年間ギャップイヤーを取得しアフリカで国連と共同プロジェクトを実施)。2年次に中退後、タイでの事業実施(東京大学との共同研究)、Quipperの海外事業拡大を担う傍ら、国家戦略特区の活用に向けて官邸で安倍総理以下関係大臣への提言、受動喫煙防止に向けた小池知事への提言書取りまとめにも携わる。本年夏より拠点をアフリカに移し宇宙事業に尽力。

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野村:各方面で引っ張りだこの土雅さんですが、僕もその半生を全く知らないので(笑)、まずはルーツや生まれ育った場所から教えてください。

 

土雅:僕の名付け親でもある祖父の吉井長三は、大学を卒業後に鉱山の会社に入社したもののアートへの愛を捨て切れず、画商に転身しました。突然画廊に行って修行を始めて、50年近く前に自身の画廊を銀座に開き、その10年後にはパリにも開いた。ほか、山梨県の小学校の跡地を買い取って芸術家育成のための施設にするなど、まさに起業家でした。父は幼稚舎から大学までを慶應で過ごし、日本興業銀行を経て、外資系投資銀行のMD(マネージングディレクター)を務め、いまは企業で役員をしています。

僕自身は東京生まれ東京育ちで、東洋英和幼稚園に入りました。その後、若葉会幼稚園へ転園、大問題児だったそうで、6歳の頃、水道のパイプに登っていたら膝が引っ掛かって抜けなくなってしまい、救急隊が駆け付けてオイルでヌルヌルにして引っこ抜いたことがありました。この事件で幼稚園中がザワついたことは鮮明に覚えています。

 

野村:もう、秩序が無いですね(笑)。小学校に上がると落ち着いていったのでしょうか?僕は富山の田舎育ちなので中学受験さえ全く無かった世界なのですが、小学校受験もされたんですか?

 

土雅:両親とも慶應だったこともあって慶應幼稚舎(小学校)を受けたのですが、体操服を畳めなくて落ちました(笑)。それで学習院の小学校に入学したのですが、問題児っぷりはもっとエスカレートしていきます。生徒は夏になると白い帽子を被って登校していたのですが、僕は一人で7時ぐらいには登校して二階で待ち構えて、みんながロッカーに入れていた予備の帽子をかき集めて、8時ごろに登校してくる生徒に輪投げのように投げまくる。本当に怒られました(笑)。

 

野村:全く意味がわかりませんがわかりました(笑)。でも、誰かを傷つけたり攻撃したりといったことは無かったのでしょう。中学はそのまま持ち上がりで学習院に進んだのですか?

 

土雅:中学は杉並区立和田中学校に進みました。祖父とパリで親交があったリクルート出身の藤原和博先生が校長を務めていらっしゃったご縁もあります。和田中は元々かなり荒れていたそうで、窓ガラスが割れていたり生徒が全然登校してこなかったりといった状態だったそうですが、藤原先生の手腕で変革をして、僕の頃には志願者が殺到していました。僕も毎日1時間以上かけて通学していました。

和田中では、形容が難しいですが、初めて外の世界を知ったような衝撃でした。友人宅に遊びに行くと、昼間なのにお父さんがいて。なぜか尋ねたところ、夜勤だからと。世の中に夜勤というものが存在することは知っていましたが、夜勤をしている人の子どもに会ったことが無かった。それも、クラスメイトにいた。それまでも自分は家庭環境に恵まれていると感じてはいたものの、こういったことをリアルに痛感したことありませんでした。今も和田中時代の同級生とはとても仲がいいですし、その時代の友達が人間関係としても一番長く続いています。

 

野村:留学の契機はどういったものでしたか?

 

土雅:中学時代はラグビーに打ち込んでいたのですが、左足首を複雑骨折してしまい、入院を余儀なくされたことがありました。その際、父が留学のパンフレットを持ってきてくれて、1年ぐらい行ってみたらどうか、って。それで、藤原先生に相談したら、今すぐ行けと(笑)。実際のところ、入院中は一人の時間が多く、色々なことを考えたのですが、選択肢としてはやはり留学が一番面白そうに映ったのだと思います。単純に、人と違うことをするのが昔から好きでしたし、このまま和田中にいても、高校受験して、大学受験して、という流れが見えてしまっていたので、とりあえずカッコいいから一旦海外に行こうと。

 

野村:英国のボーディングスクールに入学されたと聞いていましたが、そもそもボーディングスクールとはどういった学校なのでしょうか?僕もなんとなくイメージがある程度です。

 

土雅:ハリーポッターのホグワーツのイメージが近いと思います。全寮制で、いわゆる横と縦の多様性を重視する。ここで言う横とは国籍や出身地、縦は所得です。僕はCheltenham Collegeというスクールに入りました。元々は軍隊の系譜の伝統校で、ボーディングスクールをテーマにした映画の舞台にもなっています。

 

野村:本当に未知の世界です。受験はどういったプロセスでしたか?

 

土雅:IELTSやTOEFLといった英語力の公的試験スコア、成績表、推薦状を提出した上で受験先の学校での面談でした。僕はあるスクールの面接で能を舞ったりして。面接官に「ブラボー!」と拍手され、その学校は無事に落ちました(笑)。

Cheltenham Collegeで3年間を過ごしたのち、別の地域でも生活したいなと思い、スコットランドのStrathallan Schoolに入学しました。今も友人の誕生日を祝いにスコットランドに行ったりと、交友が続いています。僕は大学を1年間で中退しているので、この5年間が青春というか、一番友人を得られた期間でした。

 

野村:ボーディングスクールはすごく自由な校風を有している印象です。

 

土雅:たとえば、オックスファムのようなチャリティ施設でボランティアをしたいと申し出れば、先生が取次や移動の支援をしてくれるなど、サポートはすごく充実していました。また、高校生のときに東日本大地震が発生したのですが、普通に寄付を募るだけでは納得がいかなかったため、「2ポンド募金した生徒は1日制服を着る義務を免除される」といった企画を学校に提案し、無事に快諾してもらい、数千ポンド単位で赤十字に義援金を送りました。

 

野村:自身の中でアイデンティの定義のようなものはあったのでしょうか?自分はこういったキャラクターだ、とか、このタレントを押していこうだ、とか。

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