「最強キャリア」の先に
追い求めるもの②
京極淳(31):智弁和歌山高校在学中の東大受験生向け全国模試で1位、センター本試験文系全国1位(得点率97.6%、予備校調査)を経て東京大学文科一類に入学。在学中に米国ハーバード大学との学際交流プログラムHCAPの東京大学支部を創設し、1期代表に(当該団体のAlumni組織はのちに東大総長賞を受賞)。同法学部卒業後、新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、現在は外資系投資ファンドにてヴァイス・プレジデントを務める。

京極:学校の方針で対外模試を受けるのは中学3年生からでしたが、全国模試では常に上位に入っていました。高校2年生の時点で高校3年生用の東大受験生向け模試を受けてB判定(合格率60%)を取れたので、このままいけば東大には受かるだろうと。であれば、折角なら1番で東大に受かってやろうと思いました。
野村:その時点で全国1位を目指そうと思える人は物凄く少ないのではないかと思います。なぜそう思えたのでしょうか?
京極:正直、シンプルにそう思い付いた以上の何かはありません。冒頭で触れて頂いたとおり、結果としては全国模試とセンター試験本番で全国1位を取れましたが、腹を決めてひたすらPDCAを回し続けたということに尽きます。即物的すぎてストーリーに嵌まらなかったら申し訳ない(笑)。
野村:なんとも身も蓋もないご回答ですが(笑)、そこがまた面白いですね。何人かの先輩や友人と話していますが、各人でお話の抽象度やご自身を見つめる視座がかなり異なります。
初めて意識的に自身に大きな負荷をかけたご経験はどういったものでしたか?
京極:最初の経験はおそらくHCAP(米国ハーバード大学と東大等のアジアのトップ大学の学際交流プログラム。毎年10名前後の1年生を東大内で公募選抜し、ハーバード大学とアジア各大学でのカンファレンスを主催・参加。のちにOBOGのAlumni組織として東大総長賞団体受賞)でした。
野村:京極さんが1期代表で、僕が4期代表でしたね。大学1年生のときに当時4年生だった京極さんにお会いした際の衝撃は忘れられません(笑)。駒場のカレー屋でした。
京極:僕はなぜか「怖い」と思われることが多いようで(笑)、後輩に「会いたい」と言われたのも初めてで、とても印象的でした。
HCAP1期は文科一類(法学部前期課程)や理科三類(医学部前期課程)の首席入学者やそれに準ずるメンバーで結成され、僕は代表として、ハーバード本部とコミュニケーションを取ったり企業協賛の営業に回ったりしつつ、メンバーにビジョンを語ってまとめ上げながら東京でのカンファレンスを作り上げていきました。
野村:今年の秋から3人のOBOGがHBS(ハーバード大学経営大学院)に留学していますが、思えば1人目は1期のSさんですよね。僕から見ても1期は本当に錚々たる顔ぶれです。他方、だからこそ代表としての苦悩もおありだったと思います。
京極:生まれて初めて人のモチベーションについて根本から考えた経験でした。みんなそれぞれの才能に溢れているため、放っておくと各々の分野に散っていってしまいます。また、それまでHCAPには日本からの参加校が無かったため、産みの苦しみというか、前例も答も無い中で苦悩を重ねました。大学受験とは正反対でしたね(笑)。だからこそ、それまで得たことがなかった刺激を同世代から受け、人って面白いなぁと感じるに至りました。
野村:僕自身がそうなのですが、HCAPという経験が無ければ、京極さんも今頃は学者になっていたかもしれませんね。
京極:そうですね。あるいは職人だったかもしれません。
野村:HCAPの活動を経て「自分はこれで生きていこう」といった腹決めには至りましたか?僕が代表をやっていたときも、京極さん同様に全国模試1番や1桁ばかりみたいな2人が副代表で、いまも暇さえあれば一緒に飲む友人ですが、様々な影響を受けました。コイツのこれには生まれ変わっても勝てない、みたいな。
京極:月並みですが、やはり人それぞれにそれぞれの才能や資質があるのだと思います。実際、プレゼン能力、関係構築能力といった点で僕より段違いに高いレベルにいる同期を目の当たりにしました。僕自身は、論理的思考力、さらに噛み砕いて言えば、普遍的なルールを適用するゲームにおけるインプットとアウトプットの速度と精度の高さに自信を持てた経験でもあり、結果的にはマッキンゼーというファーストキャリアの選択にも繋がっていったのだと思います。
野村:HCAPの活動を終えられてからはどのような大学生活を送られましたか?
京極:いわゆる絵に描いたような大学生です(笑)。テニスサークルの友人と飲んだり、麻雀したり、真面目に日経新聞を読む朝勉強会を開催したり。そうやって過ごしていくうちに就活を迎え、大学3年生の冬にマッキンゼーに内定しました。今は採用枠を増やしているようですが、当時はリーマンショック直後というのもあり、新卒同期は7名と狭き門でした。他方、面接では素直に「自分が何をやりたいか/やるべきか今すぐ結論を出せないから、3年間で自身を最大限伸ばせる環境で働きたい」というだけことをひたすら言い続けました。日系企業とは親和性が低いことも自覚していた中、これで内定を出してくれたので、間違いなくいい会社だろうと。
野村:今日のお話全般を通じて、思考がシンプルかつクリアだから、あまり深掘りようがありません(笑)。変な淀みやブレ、漫然さが無く、いい意味で変にメタに飛ぶことも無く、具体で完結している。これは本当にすごいことだと感じます。
京極:もちろん、本当はその都度は悩んでいたのだと思いますが、一度決断したらあとはやるだけだと自分に言い聞かせています。過去に先輩に言われた言葉ですが、ある選択が正しいかどうかは、その選択をした時点で決まるものではなく、選択をした後の自分自身の行動の結果に他なりません。もちろん、悩む過程も自分を納得させるためにも必要だとは思いますが。
野村:マッキンゼーつながりになりますが、伊賀泰代さんの『採用基準』にも同様のことが書かれていたと記憶しています。多くの人が意思決定に9割、10割の確度を求めがちですが、時間や労力を賭しても新たに有用で正確な情報が手に入るとは限らない。時間も情報も不十分な中で意思決定に踏み切って、都度、軌道修正したり、失敗しても次に活かしたり、そういったサイクルを早めていく方がよっぽど有効だと感じます。これは文化というか社会的病理だろうなぁとも。
内定後はどのように過ごされていましたか?