元官僚医師が見据える
社会の幸福と医療の未来④
木下翔太郎(29):
千葉大学医学部在学中にNRI学生小論文コンテスト優秀賞、中曽根康弘賞論文募集最優秀賞、千葉大学学長表彰を受賞。また、在学中に医師国家試験と国家公務員採用総合職試験(院卒/行政)に合格し、卒業後は内閣府に事務官として奉職。沖縄振興、高齢社会対策、少子化対策等に従事したのち退職し、2017年より医師。国際医療福祉大学大学院医学専攻博士課程在籍中。弓道参段。

木下:健康教育のようなものを制度化していけるならそれも望ましいと思います。水素水のように、中学生でも分かるはずの疑似科学が蔓延しているのは、日本の理科教育の敗北です。
臨床医としては、精神科医になりたいと考えています。メンタル面で健康かどうかで幸福度が大きく異なってくる。日本は世界有数の長寿国で、学校でもそれこそが至上価値であるかのように教わってきたのですが、各種の幸福度ランキングみたいなものでは日本の順位はそこまで高くないんですよね。
これはどうなのか、と。ただ長生きすればいいという話ではなくて、幸福度の方が大事だと考えていて、その向上のためには健康寿命の延伸であるとか、幸福感を感じられるためのメンタルヘルスの向上とかが必要となるので、そういう研究もしたいなぁと。
野村:完全に同意です。僕もいずれ海外でPh.D.を取りに行きたいのですが、公衆衛生に近いとも言える分野で、社会システムとしての法や経済が、人間の存在論的規範、噛み砕いて言ってしまえば幸福への認識をどのように変えていくのか、という問を哲学と社会学の境界領域、つまり社会人類学の視座から研究したいなぁと。本人やその親族が幸福な最期を迎えられたと思えるか思えないかの違いを生む因子は何なのか、きちんと理論付けして可視化・敷衍できないかと。キャリア論から終末期医療、それらを支える社会制度まで幅があるのですが。
あとは、日本では精神疾患を罹患している人への理解がまだまだ低い印象です。眉唾ものも多いですが、認知療法などの可能性もあるかと。
木下:自己洞察で変わってくるところは間違いなくあると思います。近年、マインドフルネスという言葉をよく見かけますが、これは自己洞察を経て自身を言語化・可視化していく取り組みです。オックスフォード大学ではマインドフルネスを専門に扱う認知科学の修士課程が置かれており、日本でも慶應のストレス研究センターはじめ多くの大学が研究しています。
野村:僕自身は文学部がバックグラウンドということもあって、他人様の言葉を借りて自身の苦悩を言語化し切ることの効用は、日々実感します。リフレーミングというやつです。自己洞察できなければ誰かの知恵と言葉を借りればいいだけなんです。本当は臨床心理士、カウンセラーといった人たちの力を借りられればいいのですが。
木下:ストレスは決して悪い面ばかりではなく成長や充実感に繋がるとする研究も多いですが、やはりメンタルヘルスの向上のためには、個人個人が自分に合ったストレスマネジメントの力をつけることが必要だと思います。
野村:また、一例ですが、季節性の気分障害についても社会一般にはまだまだ知られていません。気温や気候の変化がこういったものの因子たり得るのであって、職場がこういった理解を深めたなら、季節に合わせてサポートする体制も準備できるはず。こういうのは本当にみんなが不幸になっている、社会的損失にほかなりません。
木下:よくわかります。偏頭痛ひとつとっても、気圧の変化の影響を受けます。また、女性の場合はホルモンバランスでも気分・体調が大きく変動する。今いる病院の精神科にはPMDD(月経前不快気分障害)の専門外来がありますが、生理前の1週間だけSSRI(抗うつ薬の一種)を飲むだけで、長年苦しんでいた人たちが劇的に改善する事例を多く見ています。他にも不眠やイライラに悩む人に漢方薬が良く効く場合もあります。こうした日常の中の不調が良くなるだけで、人々のパフォーマンスや幸福度が上がるんじゃないか。こういう分野にはすごく興味があります。
野村:総論として、経済活動・社会活動は人間が幸福であるための過程であるべきなのに、何が目的なのか、という話ですよね。
木下:そうそう!本当にその通りです。長時間勤務して体壊したり精神病んだりするのって、どう考えてもおかしいだろって。
野村:幸福の話は、最後は納得感でしかないのだと思います。
木下:僕は理系の人間だからエビデンス構築も進めますが、社会制度に反映するという意味での政治の世界だと、やはり納得感にほかならないと思います。もちろん、その納得感を作っていくために、どういうタイミングで、どの程度アカデミックにメッセージを伝えていくか、というのも別次元の課題として存在しています。
野村:話が飛んでしまいますが、今後の人生、何をしていれば楽しいと思えそうですか?
木下:やはり研究、考えることを主軸に置きつつ、適切な事柄を発信していきたいです。医学的に明らか間違っていることにはこうだよって教えてあげたいですし、いいものがあるなら広まってほしいと思います。冒頭で話したとおり、これは子どもの頃から自分の中にあるものなのかもしれません。
野村:何か悩みはおありですか?精神科医に聞くのも変ですが(笑)。
木下:結婚と子育て(笑)。最近読んだハーバード大学のクリステンセン教授の講義録に書いてあったのですが、君たち(ハーバード経営大学院の卒業生)のうち半分以上は結婚生活が破綻し、子どももうまく育ちません、みたいな話があって。
野村:“How Will You Measure Your Life”でしょうか。僕も読んだ覚えがあります。
木下:達成動機が強い人たちは、目に見えて成果を出しやすい自分のキャリア形成などを重視して、長期に継続した投資が必要な結婚生活や子育てに対してあまり期待をせず、結果、うまくいかなかったりするという話です。官僚の世界や医療の世界で尊敬できる方々に多く出会ってきましたが、仕事と家庭の両立という点は、確かに皆さん苦労されている印象でした。
のむちんの次の目標というかベンチマークはなんですか?
野村:一つ目は、正直に話してしまうと、やはり金銭面ですね。僕、物欲が殆どないんですが、年に1、2回は自分と親の分の人間ドック代をポンと出せるぐらいにはなりたいなぁと。もちろん、留学の費用も必要になりますし。総論としては、田舎の片親家庭で育ったわけですが、金銭的制約が本当に無くなった先で自分がどう生きたいと思うのか、いまの自分では想像もつかないんですよね。ここを超えられたら、学者や思想家を目指すにせよ、自給自足の生活を送るにせよ、全く別の人生が始まる気がしています。
もう一つは、これも根深く難しい話なんですが、死ぬまで続けてもいい日常を設計する、ということです。読書、筋トレ、友人との親交、その拡大、みたいな生活サイクルを具体レベルで突き詰めて考えたことって、意外に無くて。もちろん常にアップデートされていくのだと思うにせよ、きちんと向き合って腑落ちさせて、その実現のために合理的に戦略を立てていく。
木下:マクロな人生目標の達成に必要なミクロな日常設計ですね。よく分かります。
野村:そうです。仮説は沢山あるので、あとは一つずつ具体で考えていきたいと思います。あとは、剣道五段を取りたいですね(笑)。
本日はどうもありがとうございました。【了】冒頭に戻る