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元官僚医師が見据える
社会の幸福と医療の未来③

木下翔太郎(29):

千葉大学医学部在学中にNRI学生小論文コンテスト優秀賞、中曽根康弘賞論文募集最優秀賞、千葉大学学長表彰を受賞。また、在学中に医師国家試験と国家公務員採用総合職試験(院卒/行政)に合格し、卒業後は内閣府に事務官として奉職。沖縄振興、高齢社会対策、少子化対策等に従事したのち退職し、2017年より医師。国際医療福祉大学大学院医学専攻博士課程在籍中。弓道参段。

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木下:社会が豊かになって、子どもを持つ以外の形の幸せや自己実現のありかたが多様になってきたからだと思います。

 

野村:完全に同意です。多くの人が、原因と結果を混同している印象です。もちろん、待機児童を含む子育ての負担や給与の問題は事象として大きな意味合いを持つのですが、根本のところは「子どもを持つ=幸福」という前提が解体されてきたのだと思います。僕自身は子どもがめちゃくちゃ好きなんですが(笑)。

一方、僕らも今年29歳ですが、この年になると自分で自分一人を満足させることにも限界というか行き詰まりを感じるようになって、配偶者や子どもと日々の変化や成長を楽しんでいく、というのが社会システムに組み込まれているということのある種の良さもわかります。

 

木下:同意です。それがおそらく生物としての本能に近く、それに合わせて社会を作ってきた筈なのですが、自ら作ってきたシステムが複雑になりすぎて逆に振り回されている面もあるようにも思います。

 

野村:話が飛びますが、この国では政治課題が語られる際の主語が無いことが多い印象です。個人としてポジションを取らず、一般論に回収して終わらせてしまいます。「少子高齢化は止まった方がいいです」「戦争は無い方がいいです」といった言説って、言葉を選ばず言えば、当然の話であって、何も言えていないに等しいんですよね。誰が、何をいつまでにどう動かしていくのか。この点を明確にしないまま、多様性や相互理解といった麗句でお茶を濁してきたきらいはあるのではないかと。

 

木下:まさに。そういった問題に対してアプローチできるのが官僚だと思って入省した部分はあります。でも、実際のアクターはそれだけではないし、それぞれの優先順位も違うので、ぶつかりあった結果今の状態に落ち着いているのだなということが理解できました。

 

野村:逆に言うと、官僚はそこまでアプローチし切れていないのだと思います。直観的な話になりますが、いまの五十代、六十代といった世代の方はSNSが日常生活に組み込まれていないわけですが、これがあと10年すると、状況も変わってくるはずなんですよね。そうなると、世論形成のあり方が大きく転換してくるだろうと。

 

木下:SNSは自分の見たいものとしか繋がっていないので視野が狭くなる恐れがあると思います。データフィード等のターゲティング広告の技術も進歩しているので、個人の信条や思い込みが強化されていく一方というか。

 

野村:たしかに。SNSは、自分の見たいものが見えるようになっている点に無自覚な人が多いのも実情だと思います。

 

木下:ファーストキャリアが官僚だったのは本当に大きな財産です。何かを考える時に理想論になりすぎることなく、現実レベルでどこまでが実現可能かというイメージが湧く。政府が書いたものも、本気で実現するつもりの文脈なのか、スローガンだけのものなのか、ある程度見分けられる。

 

野村:本当にそう思います。あとは、法律や制度に市民の具体的生活が規定されているということの意味合いを多少なりとも理解できたことで、世の中の見え方が大きく変わりました。消費税も医療費負担も車両の速度制限も、ひいては歩道がつくられる場所も、かなり多くのものが政治の影響を受けている。

 

木下:医療現場にいると一層そのことを実感します。医療はまさに制度に規定されている世界です。

予防医療の重要性が叫ばれていますが、生活習慣病の予防には名前の通り生活習慣を変えていく必要があります。でも、予防は公的保険の範囲の外なので、医療システムからのアプローチは難しい。色々と調べていたら、イギリスでは今年から砂糖入り飲料に砂糖税が課金されることになったそうなんですね。これは施策として的を得ていると思いますし、こういったものを考案できるようになるために勉強したいと思って、大学院の博士課程に所属しています。医療の世界で行政経験を活かすなら公衆衛生だと思って。

一人の官僚だと、社会保障のような大きな制度をどこまで変えられるのかという点に直面します。行政はどうしても、既存制度を運用するマンパワーとして従事する部分が大きい。傲慢ですが、自分ならではの何かを成し遂げたいと思って、研究なら僅かでも自分オリジナルのものが作れる、と。

 

野村:最近、自分の頭の中ですごくいい整理ができました。考えるのが好きな人、発信するのが好きな人、動かすのが好きな人。人によって、また時期によって得意なものが違うな、と。僕の場合、いま時点の自身を分析すると、考えることが好きなんですよね。

 

木下:僕も考える方が好きですし、役割分担でいいと思います。そういう意味で考える時間を確保したいと思って医者に戻った部分もあります。

元官僚は企業では活用しづらいですが、限定的とはいえ、活かせる何かもあるのだと思います。逆に言えば、官僚として経験して学んだ事柄を活かせる道を自分で作って行けると良いのだと思います。一応、自分は臨床に立ちつつも、公衆衛生分野、特に、改善余地が大きい予防分野に携わっていけたらと思っています。その過程で行政や政策にも貢献できる機会がまたあればいいなと。

 

野村:予防という文脈では、やはり「予防しよう」という意思決定をさせずに日常習慣に浸透させるようなサービス・プロダクトの開発・普及が重要だと感じていました。行動経済学や行動心理学の世界で、砂糖税もその一つだと捉えることができると思います

 

木下:アメリカは病院の医療費が非常に高いため、予防や健康に関心が高い人が多い。イギリスは医療費は安いですが、専門医の受診にはかかりつけ医の紹介を経た上で数週間の待ち時間がかかるので、本当に必要な時にしか専門医療を希望しない。これはシステムが人の思考を規定しています。日本の場合、医療費も安く待ち時間も比較的短いので予防のためにコストをかけようという気持ちが起きにくいし、いざとなれば病院に行けばいいという思考になっている。だから、予防医学的に良い行動をとらせるには、サービスやプロダクトへの内蔵も含め、行動経済学的なアプローチが有効な面もあると思います。

 

野村:そもそも、誰かに言われて生活習慣を変える人の大半は、普段から自分で生活習慣に留意している、というパラドクスがあります。

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