元官僚医師が見据える
社会の幸福と医療の未来①

木下翔太郎(29):

千葉大学医学部在学中にNRI学生小論文コンテスト優秀賞、中曽根康弘賞論文募集最優秀賞、千葉大学学長表彰を受賞。また、在学中に医師国家試験と国家公務員採用総合職試験(院卒/行政)に合格し、卒業後は内閣府に事務官として奉職。沖縄振興、高齢社会対策、少子化対策等に従事したのち退職し、2017年より医師。国際医療福祉大学大学院医学専攻博士課程在籍中。弓道参段。

野村:開成高校、国立大医学部、在学中に複数の論文受賞、国家公務員試験院卒行政区分合格、そして医師国家試験に合格という目が眩む経歴ですが(笑)、もともと医師の家系なのですか?

 

木下:父は精神科医で、母は今は専業主婦ですが、昔は総合商社勤務でした。母方の曽祖父も医師でしたが、古くから医師の家系というわけではありません。父は勤務医なので、自分が医者になって医院を継がなければならないといった意識もありませんでした。

 

野村:小学校や中学校受験はされたのですか?また、どのように過ごされていたかも教えてください。

 

木下:幼稚園から中学校まで東京学芸大学の附属で過ごし、高校受験で開成に入学しました。輪の中心で大騒ぎをするというよりは本やゲームが好きな方で、それでいて自分が好きなものを他の人に楽しんでもらいたい、面白さを伝えたい、といったところはありました。同級生にハリーポッターを広げたり(笑)。

 

野村:自分が将来医師になるのだろうと感じ始めたのはいつ頃ですか?

 

木下:僕の場合は本当に自然に医師になるのだと幼い頃から感じていて、特に疑問を持つことなく医学部受験に至りました。いま振り返るとお恥ずかしいのですが、大学入学以前はあまり自分の人生について考えていなかったというのが正直なところです。

 

野村:僕も実は全く同じで(笑)。

 

木下:のむちんは政治家を志して東大に来たと思っていました。

 

野村:そういうストーリーを立てていた部分はあります。実際は、そういった適性があると信じていた、信じようとしていた面もあって。僕も高校受験のとき、看護師の母に理数科を勧められて。数学は得意だったのですが、好き嫌いで言うと国語と社会だったので文系に。

 

木下:僕も実は理系科目より文系科目が得意で、開成は文理が混ざったクラス編成なのですが、世界史でクラス1位を取ったこともあります。当時は就職難という印象が強かったので医学部に進んだ部分もあるのですが、今戻れるなら文系の学部を受験するかもしれません。

 

野村:中高と没頭したことはありますか?

 

木下:中学くらいからアニメや漫画が好きになっていく中で、共学よりも男子校がいいなと思い始めて。ほかの高校も調べたのですが、開成のHP上の部活動紹介で「ガンダム研究同好会」を見つけて。これだ!と(笑)。

そこで会長を務めたのですが、たとえば文化祭では、ガンプラ(ガンダムのプラモデル)の製作が脳を活性させるかどうかを確かめる企画を開催しました。諏訪東京理科大学の脳神経科学の先生がそういう研究をされていたのを聞いて面白そうだと思ったので。バンタイからプラモデルを提供してもらって、文化祭にやって来た小学生にまず百マス計算を解いてもらう、その直後にガンプラを作ってもらって、完成したらもう一度百マス計算。これで計算速度が上がるかどうかを実験しました。実際、少し上がりました(笑)。

 

野村:すごく面白いです。因子がどれか、つまり、ガンプラ製作の効用なのか、2度目の計算だからなのかは分かりませんが、その発想で、企業に協力してもらいつつ、実際にデータを取ったということが素晴らしいです。

そうやって3年間を過ごしたのち、千葉大の医学部に進学されたのですね。

 

木下:千葉大の医学部は歴史も古く、親世代の感覚としても、医療界で一定の影響力を有していると聞かされていました。しかしながら、実際に入学してみると色々と考えることも多かったです。千葉大は千葉市にあるのですが、都内から千葉駅までは電車で1時間、そして医学部や大学病院はそこから更に離れた山の上にあります。ふと、「俺の人生、この山の上で終わっちゃうんじゃないか」って怖くなって。それで、何かしなきゃと思って大学から始めた弓道部の練習に打ち込むようになり、参段(三段)も取得できました。

 

野村:先日の鈴木邦和さん(将棋四段)といい、川上博之さん(茶道家元後嗣)といい、僕の友人にはこういったものを経ている方が結構多いです。

弓道というか、弓道の稽古について教えてもらえますか。やはり型があるものだと思っています。物理的に言えば、正しい方法で正しく射れば、それこそ一糸乱れず飛ぶだろうと。

 

木下:まさに。基本的には、「毎回同じ型で射る」ということを体に染み込ませるに尽きます。

 

野村:また、その修練の過程で、自分の心身のズレをその都度自覚できるようにする、ということでしょうか。

 

木下:その通りです。もともと体格や腕力には個人差があるのですが、それらに合わせて焦点を変えていくことになります。その焦点めがけて毎回同じように弾けるようにしていく。団体戦だと1試合で20本引くので、安定した型、それも、自分にとって最良のものを見つけて身に着けるというプロセスです。自分の身体・精神を客観的にみる訓練になったと思います。

 

野村:大学から始めて参段って相当早いですよね。

 

木下:学部を問わなければ一定数はいるのですが、医学部だと珍しいと言われます。大学4年生まで部活に打ち込んだのですが、僕の人生が動き始めたのはそれ以降です。政権交代、東日本大震災が続いて、ニュースを見て分からないことを調べたり、読書に没頭するようになっていきました。それまでは勉強というものは義務感でするものだと思っていたので、自発的に勉強したいと思ってする勉強がすごく楽しかったんです。5年生になって病院実習が始まってからも、ご高齢の患者さんに接するにつけて少子高齢化社会の在り方について考えるなどしていました。

 

野村:そういった流れで、野村総研の学生小論文コンテスト、中曽根康弘賞論文募集に応募されて、それぞれ優秀賞と最優秀賞を受賞されるに至ったのですね。どうやって書かれたのですか?