自治体から時代を進める
〜全国最年少副市長の挑戦〜②

毛塚幹人(27):

宇都宮大学教育学部附属中学、宇都宮高校、東京大学法学部を経て財務省入省。G20関連業務、近畿財務局出向、税制改正関連業務に携わったのち、つくば市副市長に就任、全国最年少副市長となる。"アジャイル行政"のコンセプトの下、全国各自治体のモデルとなる取組を多数推進している。

2012年つくば市長選挙では

学生チームのリーダーを務めた

毛塚:両親ともに公務員だったので、公共心みたいなのものについて影響を受けた部分もあるのかもしれませんが、人生の色々なタイミングでいわば劇薬みたいな方々に会ってきた経験が大きいです。

 

野村:以前から感じていましたが、毛塚くんは自分自身との距離の取り方が僕と近い印象です。俯瞰の仕方というか、客観性というか。変に没入するわけでもなく、東市長のように全身全霊というのとも少し違って、いわば淡々としている感じ。自分自身も外部世界の一部である、といった見方や語り方をする人がいますが、僕も毛塚くんもその部類なのかもしれません。お互いに学者肌なのかも。

 

毛塚:たしかに。実際に今も、俯瞰的に自分の役割のようなものを考えてもいますし、そういう人生の楽しさもあるのだろうと感じています。同世代の中で自分がどういうポジションを取っていくのか、みたいな。

 

野村:わかります。悪い意味ではなく、ロールプレイであり、ゲームメイクであり。

 

毛塚:理系で研究者を目指していた高校時代も、国の科学技術予算の抑制や、当時の防衛庁の長官VS次官といった話をニュースで見るにつけて、官僚の影響力を感じていました。当時の仲間が研究者やエンジニアに進む中、理系バックグラウンドの自分が行政の世界にいくと価値が発揮できるのではないか、と。

 

野村:僕自身は自分の将来をあまり考えないままに東大文一に進んでしまいました。同じく地方の田舎で育った毛塚くんが、ニュースを見てキャリアというか生き方を考えることができた背景はどこにあったのでしょうか。

毛塚:両親の仕事の性質もあって、公共に関心があったのだと思います。土木を担当していた父が台風や地震といった自然災害時に市民が避難する際に県で逆に現場に向かって行ったり、公共事業のため住民説明会で調整に尽力していたりする姿には普段から接していて。また、母が勤めていた公立小学校でも様々な環境の家庭がありました。

 

野村:ご両親の姿は、当時をしてやはりかっこいいと感じましたか?

 

毛塚:もちろんそのように感じていたのですが、一方で公共への通常のアプローチに限界を感じてもいました。両親ともに現場に立つ人だった中、自分は大きなシステムや社会構造により直接的に影響を与えられる立場になりたいなぁと。ここでもいわば研究者的な発想で、世の中全体をどうしていくか、ということを自然と考えていました

 

野村:よくわかります。ところで、この「若者の哲学」でお話しする友人らの多くが小さい頃にボーイスカウトに入っていたのですが、毛塚くんはどうでしたか?

 

毛塚:僕も入っていましたが、すごくいい経験でした。引率してくださっていた大人の方のバックグラウンドも大企業から地元の経営者など多岐にわたっていて。僕がつくば市副市長として掲げている「アジャイル行政」も、実はボーイスカウト時代にお世話になった方が国内では先駆けて大手企業でアジャイル開発に携わっていたことに由来します。様々な現場でボランティア活動をしながらノブレス・オブリージュの精神もそこで自ずと刷り込まれたと思っています。

 

野村:東市長や僕は典型的な学級委員・生徒会長キャラだったわけですが、毛塚くんはどうでしたか?

 

毛塚:当時の自分にとっては、学校は多くのコミュニティの一つという意識を持っていました。部活は水泳部や科学部に所属していましたが、スポーツは地域で柔道の道場に通い、中学は遠かったので地元の同世代と遊ぶことも多く、一方でボーイスカウトの活動でも自分でプロジェクトを立ててファンドレイズするといったこともやっていました。

 

野村:ボーイスカウト活動は、かなり本格的な印象を受けます。僕も中学時に大阪で開催された日本ジャンボリー(全国大会)にも参加しました。

 

毛塚:僕も現地にいたのでどこかですれ違っていたかもしれませんね。菊章(特に秀でたスカウトへの表彰。各都道府県知事との面会にも招待される)を頂くくらいまでは本格的にやっていたので、中学時から日韓の国際交流に派遣されたりしていました。

 

野村:そうやって様々なコミュニティで精力的に活動されつつも、高3で文転して、東大文一に合格された。