生きることと「道」:

追求すべき価値について③

川上博之(32):江戸千家家元後嗣。早稲田大学卒業後、武者小路千家官休庵(京都)にて修業。東京に戻ってからは、東京理科大学公開講座をはじめ、全国各地で茶道を伝え広める活動に従事。

​川上:基本的には増えています。自分の中のいいねリストがあって、本当にいいものは残っていくので、増え続けていきますね。

 

野村:社会的に、どうやったらそのいいねリストが増えていく人が増えていくと思われますか?

 

川上:その前に、いま話をしていて気付いたのですが、小さい頃から大学生ぐらいまですごく順調にいいねリストが増えていた反面、京都に修行に出たころから変化がありました。それまでは感覚的にいいと思う茶碗がたくさんあったのですが、アカデミックに焼き物をちゃんと勉強して陶磁器の知識が増えるに連れて、いいねリストからどんどん弾かれていって、本当にいい上澄みの最上級のものしか残らなくなっていきました。自分の中のいいねリストの価値基準が再構築された感じです。

 

野村:言語化されていなかった感覚値が、アカデミックな何か、ざっくりいうと知識で再構築されたと理解しました。でも、それがいいことなのか悪いことなのかわからないというか、判断できないんですよね。

 

川上:そうなんです。結果的には、知識が増えて体系的なものの見方も身につけたのですが、いまの自分が見たら大したことがないと思える器に、昔の自分はすごく感動していた。そっちの方が幸せだったのかもしれないなって。

 

野村:よくわかります。歴史的背景や社会的文脈、権威に引っ張られてしまう部分はどうしてもあって。他方で、そういったものがそのように認められているのにも理由があるはずなので、5年、10年と乗っかってみてもいいのかもしれない。でも、自分として幸せかどうかと問うてみると、シンプルに「これいいな」と思える方がハッピーではあるように思います。

 

川上:何年か前にビートルズの誰かが書いた手紙がオークションに出されて、もちろん高額で落札されました。ストーリーを大事にすることもいいと思うし、僕自身もストーリーと抱き合わせで何かを鑑賞することはたくさんあるのですが、本当にこれでいいのかな、と思いもします。野村さんが今かけているメガネの広告に職人のストーリーが描かれていたとして、それを味わうのは、どうなんだろうかと。そのメガネを買ってかければそのストーリーの温もりを感じられると思うのですが、果たして目の前になんのストーリー提示もなくポンとそのメガネを出されて、ピュアにそのメガネを感じることができるのか。

 

野村:これは資本主義そのものの話ですよね。ネットショッピングなんかは顕著で、機能性の話はあるにせよ、ブランドロゴの入ったシャツを買うときの話に近い。だからこそそれに対置される形で、味覚、嗅覚、雰囲気というか空間を包括的に共有・体感できる茶道にできること、茶道にしかできないこと、という議論に直結していくと思います。もちろん、守破離の話にも通ずる。

 

川上:自分で茶事をやるときも、知識ゼロでも楽しんでもらえるか、ということは重視しています。

 

野村:6年ぐらい前、知人宅に泊まったときに活けてあった花が、強さというか、本当にどこから見ても隙がない活けられ方をしていて、高段者と対峙しているような何かを感じたことがありました。あとで聞くと、活けられた奥様が免許皆伝とのことで。川上さんのお茶室に活けられていたお花もすごかったですね。こういう感覚を「華道というのは…」という知識で押し殺してしまいたくない気持ちはあります。もちろん、僕は華道はど素人もいいところなんですが(笑)。

 

川上:華の宗匠が活けた華はやはり全然違います。僕も先日茶会に伺った際に素晴らしい華を拝見して、聞くとやはり宗匠が活けてくださっていました。華道の前提知識が無いピュアな目で見ても「いいな」と思える華を活けられていることがすごいです。形を大切にする日本の「道」の世界も捨てたもんじゃないなぁと。まさに守破離の話ですね。

ちなみに、実は最初に守破離という言葉を書物で用いたのはうちの先祖の川上不白です(笑)。

 

野村:面白いです。棋士と話していても守破離の話になりました。いい言葉をありがとございます(笑)。

先日、ある能楽者と話した際に、失礼を承知で「いわゆる伝統は、それが伝統であるというトートロジー的な自己定義があるからその価値を保全していける、という批判があり得ると思うが、それをどう超えるか」と質問を投げたのですが、川上さんはどうお考えですか?

 

川上:おっしゃる通りです。僕も、お茶を点ててほしいと呼ばれるときには「伝統的なアプローチで」という期待を暗に含んでいることが大半です。しかしながら、僕が考えるには、お茶会や茶事の究極的な目的は「来てもらった人とすごく気持ちいいコミュニケーションをとること」なのであって、その目的は茶室でなくとも、たとえば美術館のホワイトテーブルと椅子でも、僕が洋服でも、実現され得るんですよね。でも、僕に依頼してくれた人が求めているものは、きっとそれではないなろうなって。

 

野村:その点についてはどう思われますか?

 

川上:ポジティブな解釈とネガティブな解釈の両方を持っています。究極的な目的のためにゼロベースで考えてお茶という体験を作り出せていないんじゃないか、という考え方もあります。茶室、着物といった、日本の伝統文化

 

野村:「っぽいもの」、ですよね。

 

川上:まさに。そういうものを使うことで、何か「いい」ことをしたような、「いい」体験をさせてもらったような、そんな錯覚を与えるというネガティブな考え方もできると思います。

一方、ポジティブには、世の中には様々な仕事や役目がある中、「日本的」なことをやるという役目の人も必要だろうと思っています。僕らにはそういう役目が求められている。もちろん、求められる役目があるというのは幸せなことだとも思います。

 

野村:学問ではよく「巨人の肩に乗る」という表現が使われますが、それに近しいものがありますね。

 

川上:大学時代に内定をいただいた会社もあったのですが、お茶の世界に最初から入った理由としては、あなたにやってほしい、あなたじゃなきゃだめだ、と言ってもらえる仕事があるということは、本当に恵まれているなと思って。

 

野村:江戸千家なのか茶道なのか形容が難しいのですが、川上さんが担えそうな役割について教えてください。