生きることと「道」:

追求すべき価値について②

川上博之(32):江戸千家家元後嗣。早稲田大学卒業後、武者小路千家官休庵(京都)にて修業。東京に戻ってからは、東京理科大学公開講座をはじめ、全国各地で茶道を伝え広める活動に従事。

川上:小学1年生のときに、父が学校でお茶の体験会を開いたことがあったんですね。そのとき先生が「みんな抹茶って知ってる?」とクラスに投げかけたのですが、その質問自体が衝撃的だった記憶はあります。お茶が生活の中に当たり前のものとして存在していた当時の僕からすると、「水って知ってる?」といった質問のように聞こえて。しかも、続けて先生が「抹茶っていうのはね、苦くてね、」と。抹茶に苦いという要素を言葉で放り込んだことが衝撃的でした。「あの味に苦いという要素を見出すのか」「そうか、この味をもって人は苦いというのか」と。えっと、自分自身が何か特別だったと思ったことはありませんでしたね。お茶の家って特殊なんだな。ぐらいでした。

 

野村:このように僕の質問にすっと戻ってこられるの、本当すごいと思います。ある質問を投げかけられて、関連するにせよ、ど真ん中ではない、それでいてこんなに面白い話を流れるようにして、また元の質問に戻って来られる。こんな人なかなかいませんよ(笑)。思考の体系がものすごく興味深いです。

早稲田中学・高校ではどのように過ごされていましたか?早稲田学院の校長先生と親しくさせて頂いており、授業や勉強会で何度かお話しさせて頂いているんですが、本当にとんでもない生徒たちです。高校1年生に「何聞いても答えるぞ!」と振ったところ、最初は下ネタだったんですが、後半は「野村さんは現代演劇における主体の消失という問いについてどう思いますか」みたい質問がバンバン飛んでくる。僕と10歳違うんですけど(笑)

 

川上:僕自身は早稲田中高の出身ですが、早稲田学院は特に、ある一分野で尖ったものを有する生徒が多いですね。高校生にして第二外国語を履修しますし。

僕自身は六年間ひたすら野球漬けでした。運動はそんなに好きではなかったのですが、野球だけは好きだったんですよね。野球は打ち方、投げ方といった形を重視するスポーツで、そういう点はお茶と近いと感じます。僕らはどうしても、目に見えやすい特徴や形に飛びつきやすいところがあります。何年か前に大谷翔平のピッチング後の左足の滑りが速球のポイントだと解説者が話していたことがあって、たしかに特徴的なんですが、ピッチングもバッティングも複雑な動き、様々な要素が絡み合ってるんですよね。やはり目に見えてわかりやすいもの、言語化したときにわかりやすいものほど注意したいと考えています。わかりやすいものが正しいわけではないので、わかりやすくて腑に落ちたときにこそ注意しなければならないなぁと。

野村:野球漬けの日々で、お茶との距離感はどういったものでしょうか?また、中学、高校と人格が形成されていく中、お茶はご自身にどういった影響を与えたとお感じすか?

 

川上:野球漬けの日常の中にもお茶はありました。自分のお茶は日々変わっています。茶事の中でどういう関係を人と築けるか。一回一回に自分の思想性が出てきますし、こういう考え方もあるんだな、と感じる度にその影響を受けます。稽古でも同じで、いまも稽古での指導のあり方には迷いも多いです。「やらされている」と思ってほしくない反面、「なんでかな」と思いながら身に付けて、後から意味合いが分かることもあるのだと思います。先ほどの野球の話になぞらえると、わかりやすく説明することが本当にいいのかな、と。目の前の相手にその場でわかってもらった方がいいのか、考えてもらった方がいいのか、といったことも感じながら向き合っています。祖母の稽古と野球、この双方から影響をかなり受けていますね。

 

野村:先ほどお話ししたことに近いですが、僕の周りの人たちは無意識的に脳内でロジックツリーを立てるんですよね。ある時点や論点において分岐するというフィクションを立てることで話を進めていく。川上さんはいわば流線形。話の運びに無理のある意味付けや定義が全然ない。空気感を形容し切れないのですが、以前茶事に伺ったときのあの空気感、すごくいい意味で、近代的ではない印象を受けます。切り出して、論理に回収して、効率を求めていくといったことを最初からしない、いや、する必要が無い境地にいる。今日のコミュニケーション自体が、部分とか因果とか結果とか、僕のような人間が普段矮小化しているものを拡張してくれています。なかなか伝えづらいですが(笑)。

大学ではどういった過ごし方をされていましたか?

 

川上:音楽サークルでギターを弾いていました。幼稚園から高3までバイオリンを習っていたのですが、中3のときにロックやポップスも聴き始めて、野球を引退したらやってみたいと思ってました。

音楽もお茶に影響を与えている部分はあります。無駄だと思っていた経験が意外に現在に活きていることが多いというか、自分の解釈では、あらゆる経験は活かそうと思えば活かしようがあって、上手くいっている人たちは人生の多くの経験を活かせているのではないかと思います。

ロックの人たちも、音楽理論をある程度勉強した上で趣向を凝らしていきます。音楽は理論じゃないという人もいますが、ギターで言えばフレットで抑える場所が決まっているので、そもそもで先人の理論の上で演奏しているとも考えられます。何事も、先人が体系化したものを身に付けると拡がりが出てくるのではないかなぁと。

また、音楽それ自体は言語ではないので、それをその場で経験して「いいな」と思ったときに、その感覚を言語化できないことも多いと思います。僕の根本思想は、「自分が心の底からいいと思えるかどうかを判断基準にして、いいと感じられたものを信じる」というもので、この形成には音楽の影響もあると感じています。

 

野村:心の底からいいと信じられるものは増えていますか?僕は増やしたいですし、自分なりに増やす努力をしてきたつもりです。人によってはこれを教養と呼ぶのかもしれないのですが。