top of page

生きることと「道」:

追求すべき価値について①

川上博之(32):江戸千家家元後嗣。早稲田大学卒業後、武者小路千家官休庵(京都)にて修業。東京に戻ってからは、東京理科大学公開講座をはじめ、全国各地で茶道を伝え広める活動に従事。

45000717_186575295565207_686043138451570

野村:自分の人生に「茶」というものがあるのだと実感したのはいつのことでしょうか?

 

川上:いつお茶を始めたかと聞かれることはよくありますが、その質問は初めてです。物心が付ついたころには日常に溶け込んでいて、たとえば、3時のおやつにキッチンのポットで抹茶を自分で入れていました。3歳の頃には、顔見せも兼ねて、茶会の現場でお客様にお茶碗をお持ちしていて、6歳のころから祖母が畳の上で正式な道具・作法を用いた稽古をつけてくれました。少なくとも小学校の卒業文集には「自分は将来お茶をやる」といったことを書いていました。小さい頃からお茶を習いに来ている方たちと身近に接していて、「将来この人達とお茶やるんだろうな」と感じていました。

 

野村:ポットのお茶の話はしっくりきますが、「道」と付くというものを、日常生活や趣味を超えてやっていく、というのがどういう心境・気持ちなのか想像がつきません。稽古は嫌でしたか?

 

川上:お茶自体は嫌ではなかったのですが、よくわからないまま怒られるのは好きではありませんでした(笑)。祖母からお点前の形を仕込まれるのですが、それぞれの型の理由がわからない。たとえば、手が逆、と言われたときに、なぜ逆でないとだめなのかと。これは今の自分のお茶に対する考え方にも影響を与えていて、稽古をするときに所作の理由を自然と考えます。自分の思想性が明確に込められてくるのはずっと先です。

 

野村:先日お話しした鈴木都議と将棋の話になった際に、指していると相手の性格や考え方が見えてくると言っていて、剣道もそういう部分があると盛り上がりました。思想性という言葉が出ましたが、茶道もやはり目の前の人の性格や考え方を理解できるものなのでしょうか。

 

川上:100%ではないにせよ、そういうところはあります。大学を卒業して京都の武者小路千家へ4年間の修行に出たのですが、師匠が家元で、手前がすごく早く正確でしたが、お人柄を反映していたように思います。

 

野村:家元後嗣が外で修行するというのは一般的なのでしょうか?

 

川上:当時は茶道界がざわつきました(笑)。流儀によるのですが、一般的には禅寺、利休も修行した京都の大徳寺などで修行をする人が多いです。表千家、裏千家、武者小路千家のいわゆる三千家は、大徳寺で修行して斎号をもらうというようなしきたりはあります。

 

野村:茶道の修行とはどういったものなのですか?これも想像がつきません。

 

川上:カメラマンをイメージしていただけるとよいと思います。最初はプロカメラマンのアシスタントから入るように、茶人として生計立てていこうとしている人たちが、家元の稽古、茶事、茶会の裏方や、流儀の企画運営、茶室・茶庭・茶道具などのメンテナンスなどを担います。

44986035_173670503565905_495737962102574

野村:4年間って大学期間に等しいわけで、すごく長い印象です。もう血肉と化しているかと思いますが、修行でご自身にどう言った変化がおありだったと実感されていますか?

 

川上:お茶の世界での4年間の修行は全然長い部類ではありません。変化という意味では、そもそも僕は大学を卒業してすぐに修行に出たので、これでも初めての社会人経験でした(笑)。変わったところは数多くありますが、茶器の置き方をはじめ、小さい頃から当たり前だと思っていて意識すらしていなかったことが、他流技ではそうではなかったということも多かったです。「ああそっか、ここって当たり前じゃなかったんだな」と。そもそも他にオプションがあると考えもつかなかった事柄がたくさんありました。やはり、他の可能性があると知ることで、いいものを選択できるようになります。

 

野村:お父様、家元に言われて印象的だったことはおありですか?

 

川上:僕らは親子だから遠慮なく言い合うのですが、父からすると家元に物を遠慮なく言うやつがいきなり出てきて、おっ、と感じた部分もあったのだろうと思います。その上で、印象に残っていることは「好きなようにやれよ」と言われたことです。会社でも、たとえ同じ業界でも違う会社から来たら意外なところで違いがあるものだと思います。僕も修行から戻って「ここってこうだっけ」とふと思った折に「帰って来たし江戸千家に合わせよう」と考えることもあったのですが、いいと思う方をやれよ、と。

 

野村:僕は井上雄彦『バカボンド』が大好きで、あの作品と史村翔・池上遼一『サンクチュアリ』だけが自室に置いている漫画なのですが、お父様も川上さんも『バガボンド』のイメージ、つまり、無為自然、天衣無縫といった雰囲気を纏われています。僕や友人たちは、言ってしまうと多くは東大卒なわけですが、問に対して「AだからBゆえにCなのでD…したがって結論はZだ」みたいなロジックの立て方をしがちです。川上さんと今お話ししていても、もちろん論理的なのですが、僕らがいわば「論理的であるべきだ」といった規範や前提に縛られてコミュニケーションを取っているのに対して、何かを説得したり理解させたりとするのではなく、流れるように話されている。この別はとても印象的です。

お茶が川上さんのパーソナリティやものの見方にどのような影響を与えたとお考えですか?別の仕方で質問すると、小学校や中学校で、各人でものの見方が違うのは当然なのですが、その中でも自分の感じ方や見方が違うと思うようなことはありましたか?

bottom of page