ふと、親代わりだった祖父のことを思い出したので、少し書き残しておきたい。


一ヶ月が経過した。世に言うキャリア官僚を辞して設立一年にも満たないベンチャーの役員になった。官舎を出る必要があったため住む場所も変えた。金銭を受け取りながら人前で自分の名前を出しながら意見を表明することにも多少は慣れてきた。

自然、日常を織り成す人間関係に、小さくない変化があった。節目にかこつけて旧交を温めてくれた師や友人も多く、大袈裟に言えば、大学卒業以降の五年弱を再定義する期間にもなった。新たな出会いや機会にも数多く恵まれ、道理ながら、これらはまた新たな出会いや機会を生み、今後の身の振りを再考する端緒となった。

しかしながら一方で、これらの多くは当初の想定の範疇でもあった。無論、素晴らしい出会いや機会には数多く恵まれとても感謝しているが、したがって、これらに対置される仕方で身肌の記憶というものの意味合いを考えもした。


新居から最寄駅までは、景観を覆うものが殆どなく、空が高い。都内とは思えないほど風通しがよく、季節ごとの空気の変化を日々強く感じる。秋湿りは身の輪郭を淡く収奪し、朔風は思索を断続的に遮る。寒暖差が心身の所在を見失わせてくる中で、不思議と、親代わりだった祖父のことを思い出すことが幾度とあった。

祖父は高卒で地元富山の企業に入社し、定年まで勤め上げ、二年ほど前に膵臓癌が発覚してから数ヶ月で他界した。学がある部類ではなかったが、非常に柔和かつ温厚な人柄で、物静かながら真面目に働く人だったため、職場や近所から頗る慕われていた。叱られた記憶もなく、教訓染みた言葉も貰った覚えもなければ、実家には書斎も無かったので文化資本を受け継いだものでもないし、どこか思い出深い旅行に行ったわけでもない。

ただ、帰省の折には、本当に喜んでくれた。たかだが孫の帰省だけでここまで喜べるものなのか、と不思議に思わずにはいられないほどだった。そして、帰省を終えて東京に戻るときには必ず、富山の地酒の酒瓶をくれた。


富山を離れて、就職して、気付けば祖父の年金よりも自分の給料の方が余程多くなっていった。官僚という前職の性質もあって、言い方は悪いが、舌も多少は肥えていった(そして日本酒からウイスキーに嗜好が移っていった)。その酒瓶は、普段から自室に置かれているものより、傍目に見ても、やはり見劣りするものだった。

それでも、大学生の頃から、その地酒を仲のいい友人らと何度も飲んだ。その一回一回を具に覚えているなどというフィクションを語るつもりはない。ただ少なくとも、自室で友人らと祖父が持たせてくれた酒をよく飲んだという記憶は、具体性を失っても今なお、胸中に確かに残存している。


自分なりには怒涛だった一ヶ月強、週末の夜に久しぶりに一息をつけたのが今日だった。ふと新居最寄りのコンビニに立ち寄ると、例の地酒が置いてあった。酒瓶のラベルを目にしたとき、やはり、地元の駅で突っ立って僕を待ち、見つけた途端に顔をほころばせていた祖父のことが思いやられた。帰省を終えて東京に戻るとき、決まって玄関で照れながら片手で「ほれ」と日本酒の瓶を差し出してくれた祖父のことが脳裡に浮かんだ。

たかだかコンビニに置かれた酒瓶一本でこのように思い出してもらえる亡き祖父は、間違いなく幸せ者の部類だろう。そして、思い出せる側もまた、同等以上の幸せ者だろう。

別段、結論染みた何かに回収する気も無ければ、敷衍や一般化をするつもりも無い。ただひたすらに、気分がよかったので、このことを書き残している。そして、一人でこんなにも気分よく誰かを思い出しながら一晩を過ごせるということは、本当に幸せなことだと思う。

Updated: Nov 3, 2018

今日付で経済産業省を退職した。入省に至った経過と今日感じたことを書き記したい。いつかの自分のために。


中学時代は剣道に、高校時代は東大受験に、文字通り全身全霊で打ち込んだ。田舎の片親家庭だったが、今思えば、そのような機会・環境が与えられていたことは幸福以外の何物でもなかった。


1度目の東大受験に失敗して、単願だったため、浪人することになった。現役時代の蓄積があったので、数年ぶりに「受験対策」以外の事柄に目を向ける余裕が生まれた。入試問題に出される評論文、つまりは、大学教授が受験生に生涯記憶していてほしいと願っているであろう文章を、ゆっくりと咀嚼し、じっくりと考えることができた。いつしか、その時間が好きだ、と漠然と思うようになり、文科三類(文学部前期課程)に出願しようか迷った末、先に入学していた友人の勧めもあって、文科一類(法学部前期課程)に出願し、入学した。


大学時代は数多くの友人に出会えた。生まれ変わっても出会いたいと思える親友や師も得られた。そして、世に言われる学歴を手にしたことで、経済的困窮に関する懸念も大きく低減した。

大袈裟に言えば、田舎の片親家庭といった環境から血を吐くような努力で這い上がってきた矜持があった中で、目指すもの、否、執着すべきもの、或いは、闘わなければならないものが無くなっていった。自分が十分に幸福で、いま死んでも大きな後悔は無い、と思うようになった。


苦悩の末に、こんな自分でも、真理探究を通して人類の知の歴史に傷跡を残すこと、或いは、具体において他者や社会に貢献すること、この2つは生きる理由として認めることができそうだと考え至り、いわば、そのように仮託した。それは虚構ではなく祈りと呼んでと差し障りのないものだっただろうと今なお思う。のちに、出会いに恵まれ、後者を選択するに至った。


経済産業省は、器量が大きく風通しがいい、そして、(正しい形容かどうか自分では判断できないが)健全な自負と帰属意識を有した組織だった。自然、仕事も総じて楽しかったので、多少なりとも心身に負荷は掛かったものの、仕事が嫌だと思ったことは無かった。

いつしか国費留学の年次が近付いてきたので、自身の経歴を俯瞰し、自分を納得させるためのフィクションを構築した上で、「最も難しい」と言われることが多いらしいMBA受験の準備に着手した。しかしながら、必要とされる試験点数も概ね満たし、志望理由のエッセイに取り掛かり始めたころ、そのフィクションを信じられなくなった。自分の人生にこの時間が必要なのか、と。

同定しきれない違和感の中で苦悶を重ねた結果、自分は畢竟、本を読んで、風景を見て、歴史を感じて、それを自分の言葉に落とし込んで咀嚼し、人間や世界、ひいては宇宙、或いはその先の何かに感動し、生を肯定したいのだ、と腑落ちした。宗教的教義がほしかったわけではなく、人間や、人間が知覚ないし思考できるものを、心の底から肯定してから死にたいのだと思い至った。そして、それに名称を付すならば、「学問」でよいのではないかという仮説も立った。退職は、この得心と同時に決意した。


今日付で経済産業省を退職した。人事手続き上の話を除き、ごく限られた人にだけ事前に報告した。最初の部署の上司に報告したのも昨日だった。自分の人生に関する決断が直接伝達した本人以外の第三者に伝わり、事実に立脚しない伝聞や印象を元に話題として消費されることに、自分は強い違和感と不快感を感じるだろう、そして、それは新たに人生を歩まんとせん自身の区切りとして芳しくないことだろう、と考えてのことだった (言わずもがな、消費されるにせよ、退職前と退職後ではまるで意味合いが異なってくる。)。


結果、多くの方から今日、なんで事前に相談しなかったんだ、というお叱りを受けた。一緒に考えてやることができた、色々な選択肢を探せた、できることもあった、と。近しい親類に大学卒が一人もおらず、法事で勤務先を伝えると「計算(けいさん)省って、お前、文系じゃなかったか」と問われる環境で、受験や就職といった人生における大きな決断は、全て自分で下してきた(母と他界した祖父は、健康に気を付けろ、とだけ繰り返し心配した。)。物事は一人で考えて決断するものだと思っていたし、他人は自分をさほどに気に掛けていないのだと信じていた。

しかしながら、自分は全く人間関係というものを理解していなかったのだと、今日になって気付かされた。多くの人が、経済産業省という組織を離れるからではなく、僕という個人の人生を、彼ないし彼女の視座で真剣に案じて、上記のような言葉を与えてくれた。そして、職務上の日々のコミュニケーションでは感得されないことが多いのかもしれないが、こういうまなざしの下で、一日一日、仕事をさせてもらえてきたのだ、と退職の日に漸くに気が付いた。思い返せばそういった場面は数え切れなかった。人目には晒さないが、今日一日で何度涙腺が緩んだか、これもまた本当に数え切れない。

結論地味たものを付すと一気に陳腐なものになってしまうが、こういった人間関係こそが人生の醍醐味であり財産なのだろうと帰路で噛み締めるに至っている。噛み締めたあとのこの余韻をどう形容するかは、今後数年を賭して考えていきたい。そして、退職の日に記す自身の心境がこういったものであることを再度俯瞰するにつけ、4年7ヶ月間におよび身を置いた経済産業省に、本当に感謝している。

Updated: Oct 31, 2018

結局のところ、ストレスは予測不可能性から来る部分が大きい。なんとなくの見立てで大丈夫そうだったり、個別に見れば大した負荷でなかったりしても、未経験かつ予測不可能な事柄で公私を埋めると行き詰まる。これはいい教訓になった。厳しく見ると、方々に於いて過信があったのだろう。


やはり「うまく進んでいる」と実感できる事柄を主軸に置いて日常生活を設計するに限る。拠り所があれば、多少の振れ幅があってもそれが一時的なものだと受け容れられる。安定的な主軸を持つことで、「自分が総じていい流れにいる」ということを信じられる。この自己信頼が揺らぐと悪循環に嵌る。全て70点では不安になるが、1つ90点なり100点なりがあれば、1つぐらい赤点でもなんとかなる気がしてくる(と思う)。


あとは、ストレスも、所与というか避けようがないもの、時間の経過に連れて質量が変化を見るもの、そもそも低減・回避できるもの、と分けて考えるのがよいだろう。世間で言われているほど、人間関係由来のストレスは多くはないのではないかと思う。