公(パブリック)であること
〜全国最年少市長の挑戦〜
【前編】⑤
東修平(30):
四條畷高校、京都大学、同大学院(原子核工学専攻)を経て事務官キャリアとして外務省入省。環太平洋経済連携協定など貿易協定締結の対外交渉に携わる。その後、野村総合研究所インド現地法人で自動車業界のコンサルティングに従事。2017年1月の四條畷市長選挙に無所属出馬し、現職を破り当選。全国最年少市長となる。公民連携による迅速な事業展開を図るとともに、市民との対話を徹底的に重視した地域主体のまちづくりに取り組む。

野村:僕の基本的な考え方なのですが、メディア露出は基本的に自分があまり得をするということが無いんですよね、自己顕示欲が高い場合を除いて。若者で第一線で活躍している才気溢れる友人たちも、敢えてメディアに出でまで世代の同横のつながりを強化していく、といった気持ちにはなりにくい。
僕もこの「若者の哲学」は、広告も一切載せていませんし、セグメンテーション(訴求層の設定)や流入経路の設計などいわゆるSEOは敢えて考慮せずにやっているのですが、どれだけ純度を高めて維持しようとしても、迎合してしまうというか、迎合せざるを得ない部分が生じてくる。なかなか大変です。
東:まさに、消費されていく部分はあると思います。
個人的には、こういった輝かしい同世代が持つ社会に対する課題意識を一層深掘っていってほしいと感じます。若くして第一線を走る人たちが社会の問題と捉えているものは何なのか。
野村:ぜひ公開イベントも一緒にやりましょう。若者が考えを表明する論壇みたいなものが実情としては存在しません。頑張っている若者がどういった課題意識や世界観を有しているかが見えるだけで、だいぶ違ってくるはず。他方、何か特定のメッセージを伝えることを目的にすると、新たに別の舵取りが必要にもなってくるので、そこは考えていきます。
ちなみに、東市長の課題意識を、敢えて高い抽象度で語ってもらえますか?いわば、「市長として」を超えて、一人の政治家、個人、ひいては人間社会の構成員として。
東:誰の目線に立つかによって変わってきますね。「変える」というのは、あくまで自分が主語です。しかしながら、何かを変えるというのは、その変化のあとに影響を受ける人たちのための行動です。その「影響を受ける人たち」が誰かによって視点も議論も違ってきます。この役割を与えてもらってから、主語を自分に置かなくなり、ある立場や環境に置かれている人たちを都度想像して考えるようになっています。
野村:本当に核心だと思います。古いですが、滅私奉公、という言葉があり、奉公かどうかは別にして、間違いなく滅私の域なのでしょう。そして、その主体と対象の設定が難しいというか、その設定を肯定するものが何なのかという議論があります。
東:突き詰めると、「日本人」という括られた一部の人たちだけのために、という考え方に終始しなくなってきます。
野村:ものすごくよく分かります。日本、国家という主語自体がimaginary(想像上の)なものです。他方、地域には日常生活における親密圏が存在します。愛着もそうだし、リアリティがある。
東:これも突き詰めると、n=1の自分という経験からしか語れないという壁に直面します。
野村:しかも、その原体験自体もフィクションというか虚構といった側面もある。
東:本当によく分かります。
野村:他意の無い話かつ比較の話なのですが、郷土愛は、疑う必要の無い類のものだと言えるだろうと思います。
僕自身は、自分の中のフィクション性を突き詰めるというか、自分の哲学・思想をもっと深掘っていきたいなぁと感じています。不遜の極みですが、安岡正篤(四條畷高校出身の大哲学者、吉田茂をはじめ多く総理が師事した)のような存在になりたい、それでまずは若手の中で、というところはあります。と言っても、裏で社会をどうこうしたいといった想いは本当に皆無で、好きな人たちと社会やそこに生きる人について色々思索を深めていくのが自分の人生の醍醐味だなぁと。
一応、本業は医療格差を超えることを理念に掲げる医療AIベンチャーの役員で、法律文書とか研究プロトコル設計とか超具体的なことをやっていますが。
東:僕も都度感じますが、若い間に経営・マネジメントの経験を積めるなら、本当にぜひ積んだ方がいいですね。市長としても、職員を鼓舞しつつ、組織を作り動かしていく必要があります。
野村:まさしく意思決定者の言葉だと思います。マッキンゼーを経て外資系投資ファンドで働かれている京極さんとの対談でも触れましたが、伊賀泰代『採用基準』に書かれていたように、確度6割、7割でも、いわば飛躍するかのごとく不安を超えて意思決定を下して進んでいかなければならない。
東:本当にそう思います。確度9割ということがあったら、それはもう、やるしかありません。
野村:あっという間に3時間が経過してしまいました。霞ヶ関に同期連中などを待たせているので、そろそろ行きましょう。まだ全然深掘れていないので、これは前半ということで、後半、次の上京時に続きを(笑)。どうもありがとうございました。