公(パブリック)であること
〜全国最年少市長の挑戦〜
【前編】②

東修平(30):

四條畷高校、京都大学、同大学院(原子核工学専攻)を経て、事務官キャリアとして外務省入省。環太平洋経済連携協定など貿易協定締結の対外交渉に携わる。その後、野村総合研究所インド現地法人で自動車業界のコンサルティングに従事。2017年1月の四條畷市長選挙に無所属出馬し、現職を破り当選。全国最年少市長となる。公民連携による迅速な事業展開を図るとともに、市民との対話を徹底的に重視した地域主体のまちづくりに取り組む。

東:京極さんとのお話で同様のことが語られていましたが、僕もずっとゲームばかりしていました。パワプロやモンスターファームを(笑)。

野村:サクラモッチーニ世代ですね(笑)。シカゴ大の心理学者チクセントミハイが、フロー体験、よく言われる言葉で言えば極限状態、ゾーンみたいなものについて研究した書籍を書いているのですが、我々の世代はまさにテレビゲームがそのトリガーだった部分もあるかもしれません。運動系の部活は身体能力の差が出ますが、ゲームは時間に比例する部分が大きい。

部活は何をされていたのですか?

東:一応、中学校ではソフトテニス、高校では合気道とマンドリンをやっていましたが、基本的には中学、高校ともに生徒会活動が中心の生活でした。体育祭の採点基準を設計するなど。

野村:自己顕示のために生徒会みたいな人はいますが、東市長はみんながハッピーになるための制度設計に注力されていたんですよね。

東:僕にとってはそれが楽しかったんです。ルールを変えて、みんなのやりたいことができるように環境を整える。僕の高校では、文化祭での演劇の際に体育館の舞台から飛び降りてはいけないなど、厳しい禁止事項が多かったのですが、何を担保にすればやらせてもらえるかをずっと考え、提案し、実現していきました。

高校3年生では文化祭の実行委員長を務めたのですが、文化祭のあと夜遅くまで片付けをしていたら、担当の先生が一言、「いい文化祭だった」と言ってくださったんですね。その一言がそれまでの人生で一番嬉しくて。お前は頑張ったという言葉ではなくて、文化祭そのものがよかった、と。それで、「ああ、自分はここに喜びを感じるんだな」って実感して。泣きながらクラスの打ち上げ会場に向かいました。

 

野村:本当にいい話すぎます。その萌芽というか、みんなのために何かを設計したり実行したりした最初の記憶はどういったものですか?

 

東:小学校時代、教室にみんなの意見箱が置かれていたんですね。みんながその日に気付いたことを書いて入れる。いま振り返れば幼稚なのですが、僕、朝から元気の無さそうなクラスメイトがいたら、1日中その人の行動を見て、その人が1つでもいいことをしたらそれを無記名で投稿して、笑顔になってもらうということをしていました。

野村:小4の頃からそんな人格者だったのですか(笑)。疑っているわけではなくて、そのようになれた、ということがすごく稀有だと感じます。

 

東:やはり最初の選挙の話はとても大きかったです。以降、高校卒業まで同様の生活を送っていました。

 

野村:確かに、小学生で本当に心に突き刺さって物の考え方や行動を変えるといった経験はなかなか無く、だからこそ、お話してくださった選挙のような話はその後の過ごし方に大きな影響を与えたのかもしれませんね。

そして、京大の工学部に進まれた。

 

東:中3のときに京大生の塾講師から科学雑誌『ニュートン』を渡されて。ところで、友達から聞く限り、当時の僕の夢は世界征服だったみたいなんですね(笑)。世界征服すれば、その先に世界平和を実現できる。この文脈で、幼稚ではありますが、地球に太陽を作ればエネルギー問題が解決されて、争いがなくなるんじゃないか、と考えていた部分もあったのだと思います。

高校3年の文化祭を終えた後から受験勉強にシフトし、京大を受験して合格しました。京大は本当に楽しかった。何度生まれ変わっても行きたいですね。

 

野村:京大ではどのように過ごされていたのですか?

 

東:ひたすらマンドリンに没頭しました。本当に死ぬほど、1日8時間とか10時間とか、プロにも通ってひたすら練習の毎日。高校時代までは全体最適を考えてきたので、個のプレーヤーとして高められるところまで高めようと。京大は全国的にもマンドリンのレベルが高いとされているのですが、一応、僕も国際マンドリンコンクールの準決勝まで進出することができました。

 

野村:そこで見えた世界について教えてください。

 

東:死ぬほどやるからこそ、越えられない壁が見えました。届かない相手がいる。

 

野村:僕は世界レベルで勝負したことはないのですが、極めようとするからこそ、もはや指の長さや関節のやわらかさといった次元の勝負になってくるのだと思います。

 

東:でも、全身全霊でやりきったので一切悔いはありませんでした。雑多に生きてきましたが(笑)。

 

野村:僕もとっ散らかして生きてきました(笑)。でも、僕らも数ヶ月に一度は飲む仲ですが、以外にこういった話は知らないもので、すごく興味深いですね。

それで、そのまま京大の修士過程に進まれて、国家公務員試験を受験される。

 

東:当時は国の原子力政策の勢いがかなりあって、ベースロード電源として5割を原子力発電にするといった流れでした。僕も『ニュートン』に始まった学問関心と世界平和への想いから原子核工学を専攻していたのですが、大学4年の3月、翌月に大学院に入学するといったときに、東日本大震災が発生しました。それで、大学院1年生の4月末に国家公務員試験を受験。当時は国家公務員Ⅰ種試験でしたが(現在は国家公務員総合職試験に改組)、専門科目で理工Ⅰを選んだ3250人のうち1番で合格しました。

 

野村:これはさすがにすごい(笑)。僕も短期間で国家公務員試験に受かりましたが、長い時間をかけたからといって1番を取れる自信はありません。もちろん、文理の差はあるものの、1番って、誰かとんでもなく優秀な人がいたらその人を越えないと取れない。勝負の次元が全然違ってくる。

 

東:でも、実は、国家公務員試験に受かってから1年間休学したんですね。小室淑恵さんが社長を務めるワーク・ライフバランスという企業にインターンしたり、語学留学に行ったり。その後、翌年になって官庁訪問(国家公務員試験合格者が各省庁を訪問し選考を受ける過程。教員免許取得者の採用試験に近い制度)に。

野村:外務省のどういったところに惹かれたのですか?