公(パブリック)であること
〜全国最年少市長の挑戦〜
【前編】①

東修平(30):

四條畷高校、京都大学、同大学院(原子核工学専攻)を経て、事務官キャリアとして外務省入省。環太平洋経済連携協定など貿易協定締結の対外交渉に携わる。その後、野村総合研究所インド現地法人で自動車業界のコンサルティングに従事。2017年1月の四條畷市長選挙に無所属出馬し、現職を破り当選。全国最年少市長となる。公民連携による迅速な事業展開を図るとともに、市民との対話を徹底的に重視した地域主体のまちづくりに取り組む。

野村:最年少市長として全国的に大きな期待と注目を集めている東市長ですが、本当に世辞でも誇張でもなく、僕の同期の官僚勢の中でもずば抜けて思考力が高く、そして、毎度必ずこの話になりますが、スマブラ(Nintendo 64の格闘ゲーム。世界累計550万本以上の売上)が強い(笑)。

 

東:僕たちが出会った人事院研修でのハイライトのようなエピソードですよね(笑)。後ほどゆっくり振り返りましょう。

 

野村:よく聞かれると思いますが、市長になろうと思ったのはいつのことですか?

 

東:本当にぼんやりと考え始めたのは10歳の頃、少しくっきりしてきたのは大学院在学中、明確になったのは外務省時代ですね。小学校の同級生たちに「市長選に出る」と言ったら「やっとかよ」と言われましたが(笑)、いますぐ変えないと故郷が大変なことになるのが明確でした。しかも、そんな状況下で現職が無投票当選をしそうな状況。もう4年間はまず持たない。どちらかと言うと、理屈ではなくて状況的に差し迫っていた。一般に選挙に出るということはそういうものなのかもしれないと思います。

 

野村:10歳の頃に市長、政治家になろうと思い至った出来事はありますか?

 

東:小学校4年生から学級委員が選ばれていたんですが、大阪府という土地柄もあってか、みんながやりたいと手を挙げたんですね。それで投票になって、僕が当選したのですが、僕に入れてもらえた票数を見ると、立候補していたクラスメイトも僕に入れてくれていたと気が付いた。その瞬間にスイッチが入ってしまいました。学級委員をやりたいと言っていた人が、それを諦めて、僕に託してくれた。誇張でなく、この出来事でそういう生き方が始まりました。

 

野村:本当にいい話です。対比として僕の話をすると、僕も人生最初の投票、つまり同じく学級委員選挙で、自分の名前を書いたんですね。それで、僕の場合は、保育園からのライバル一騎打ちで、1票差で勝ちました。これがもし東市長が経験したような当選の仕方だったら、全く違った人生になっていただろうと本気で思います。

一方、今になって、自分がいわゆるリーダー的な役割を担う機会を人からもらって成長してきたんだという意識を強く抱くに至っています。誰かの成長機会を奪っているというと言葉がキツいですが、自分自身をそういったキャラクターであると自己定義していましたし、その自己定義によって求心力が発揮・強化されていった面もあります。

東市長もずっと生徒会長などをやられていたのですか?

 

東:中学生のときに、生徒会長選挙で候補者が2人まで絞られたあと、生徒会担当の先生に「話し合いで解決しろ」と言われて。何度も話し合いを繰り返したのち、僕はもう1人の候補に会長を譲って、副会長になりました。その代わり条件を提示して。「任期中、僕の書いた原稿で挨拶をすること」。

 

野村:すごい(笑)。実際やられてみていかがでしたか?

 

東:すごく楽しかったですね。何を話してもらうかを、聞き手の毎回の反応を見ながら考える。それまでは自分が前に出るリーダー像を抱いていたのですが、裏方の視座も得られて勉強になりました。

 

野村:そもそも、なぜ生徒会長になりたかったのでしょう?

 

東:たしかに、いま野村君に聞かれるまで考えたことがありませんでした。ただ、例の小学4年生の選挙以降、役職をいただけている、といったありがたさは感じていました。その裏返しとして、僕自身は役職を得ること自体にはモチベーションはありませんでしたね。

 

野村:多くの人は、特に小学生であれば、そういった役職に就きたいと思って手を挙げるものだと思います。他方、東市長の場合は、期待されているから、期待されているという自負もあるから、そして、みんなのために物事を動かして変えたいから、という次元だったのでしょう。僕もこの年齢だからある程度の言語化もできますが、本当にすごい話だと思います。

逆に、高校までのリーダーシップ経験で失敗はありましたか?

 

東:いっぱいありました(笑)。僕、本当に正義感が強かったんですね。あくまで一例で話すと、学級委員は授業と清掃を終えたあとの帰りの会で号令を掛けるんですが、僕は全員が静かになるまで頑なに待ち続けるばかりで、始めようとしませんでした。もちろん、静かにするようにと伝えることは簡単だったのですが、みんなが自発的に静かになってくれると信じたかった。それで担任に、気持ちわかるけども、と注意されたことを鮮明に覚えています。はずかしい正義感でした(笑)。

野村:とても象徴的な話だと思います。その正義感は、親御さんの影響でしょうか?換言すれば、ご家庭の教育方針をあえて言語化すると、どういったものでしたか?